「私情に溺れる忍なんて、カカシ先生から大目玉喰らいそうだよね・・・」
「そんな事ないさ。私情だって大切だぞ」
「本当に?」
「オレ達はロボットじゃない。『何かの為に、誰かの為に』って思うのは当たり前だろ」
「・・・カカシ先生にも、私情ってあるの?」
「そりゃあるよ。オレだって人間だし」
「へえ」
「なに、その意外そうな反応は」
「うん・・・、カカシ先生くらいになると、もうそういうの超越してるのかなって思ってたから」
「ハハハ。それができれば何の苦労もないんだけどねー。・・・残念ながら、まだまだオレも修行中の身なのですよ」
おどけて困った振りをするカカシ先生に、ちょっとだけ心が和んだ。
カカシ先生の私情か・・・。
一体、何なんだろうな・・・。
下世話な興味が、ちらっと顔を覗かせる。
こんな事を訊いても、ちゃんと答えてくれないだろうけど。
でもやっぱりカカシ先生のいろんな事を、もっとたくさん知りたいと思ってしまった。
「カカシ先生」
「んー?」
「先生は・・・、誰の為に戦っているの?」
「誰って・・・。そりゃ、大切な木の葉の仲間の為に決まってるでしょーが」
「・・・それだけ?」
「それだけって、他に何があるのさ」
今更何を聞いてるんだと言わんばかりに、まじまじと私の顔を眺めているが・・・。
果たして、それは本心なのか。
唯一覗いている右目だけでは、とても分かりそうにない。
また上手くかわされてしまったなと、ちょっとだけ気落ちした。
自惚れる気持ちは更々ないけれど、できれば、そんな曖昧な括り方じゃなくて、もっと踏み込んだ内容を知りたかった。
気抜けした私をからかうように、カカシ先生がとぼけた調子で切り返してくる。
「そう言うサクラは、誰の為に戦ってんのよ?」
「え・・・、私は・・・」
思わず、言葉に詰まってしまう。
私は、誰の為に戦っているのか――
なんて答えればいいんだろう。
どういう答なら、満点を貰えるんだろう。
ついつい優等生の解答を模索する私に、カカシ先生がニヤニヤと意味ありげに笑っていた。
「んな・・・。なによその笑い・・・」
「いーや、別に」
どう取り繕おうと、私の本心なんて所詮カカシ先生にはバレバレって事なのか・・・。
どうやら見事に返り討ちにあってしまったらしい。
こうなると真っ赤になって盛大に不貞腐れるしかなかった。
「・・・私の事なんか、どうだっていいのに・・・」
「んー、なんか言ったか?」
バツの悪さを押し隠すように、先生のベストに顔を埋める。
先生の匂いが身体中に広がって、余計に顔が赤くなる。
悔しいけれど、嬉しかった。
後ろめたいけれど、ワクワクした。
肩の力が僅かに抜けて、張り詰めていた気分が少しだけ楽になる。
私はまだまだ、『カカシ先生の為に・・・』 と言い切れるほど強くはない。
ただ、忍を続けていれば、カカシ先生の傍にいられる。
先生と一緒にいられる口実を作るために、私は戦い続けているのかもしれない。
・・・こんな理由でも、いいのかな。
気が付けば、東の空が薄っすらと白み始めていた。
日の出にはまだ程遠いが、気の早い鳥達の囀りが遠くの山々に木霊する。
ポツンと一つ取り残された明けの明星も、次第にその輝きを失いつつあった。
「いよいよだな」
「そうだね・・・」
震える思いで、空を見上げる。
濃紺から群青、そして鮮やかな青色へと刻々と色合いを替えていくこの空の下――
どこかに、サスケくんが存在しているんだ。
夢でもない幻でもない、本当の、本物のサスケくんが間違いなく・・・。
ベストの端を握り締めたまま、覚悟を決めるように固く唇を引き結ぶ。
どうか、心が惑いませんように・・・。
木の葉の誇りに恥じ入りませんように・・・。
「ま、なるようになるさ」
スッと伸ばされたカカシ先生の手が、静かに私の肩を引き寄せる。
そしてそのまま強引に、私の頭を自分の肩先へと押し付けた。
「へっ!?」
「少し眠っておいた方がいい」
「え・・・あ、あの・・・」
「この先、とんでもなく忙しくなる。出発にはまだ間があるから、黙って目ェ瞑っとけ」
「あ・・・う、うん・・・。分かった・・・」
言われるままに目を閉じる。が――
当然ながら、眠れる訳がない。
視覚が閉ざされた分、聴覚やら嗅覚やらが過敏に反応して、余計にカカシ先生の存在をありありと感じ取ってしまった。
今にも心臓が口から飛び出しそうだった。
必死に冷静さを装うが、只ならぬ興奮のせいでまともに呼吸もできやしない。
(こ、これで・・・どうやって眠れって言うのよ・・・!)
ガチガチに凝り固まって俯くのがやっとの状態。
「もしかして、からかわれているのかも・・・」と、つい勘繰り深くもなってしまう。
ど、どうしよう・・・。このままでもいいのかな・・・。
薄目をあけ、チラッと様子を窺うと、カカシ先生は静かな決意を秘めたどこか物悲しい目で、ずっと遠くを見据えていた。
ズキン・・・
またしても、胸の奥底を深々と掻き乱される。
切ないような、哀しいような、淋しいような、苦しいような・・・。
そのほろ苦い感覚に、そっと居住まいを正す振りをして、少しだけ先生の懐に潜り込んだ。
ジリジリと頬が熱いのは、きっと焚火に当たり過ぎたせい・・・。
懸命に自己暗示をかけながら、頭の中に羊の群れを解き放つ。
羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、羊が四匹・・・。
当たり前だけど、眠くはならない。
アドレナリンに比例して、どんどん羊は増殖していく。
羊が百匹、羊が二百匹、羊が三百匹、羊が四百匹・・・。
大量のモコモコに頭の中を侵蝕される。
いつの間にか、羊飼いのカカシ先生まで登場していた。
羊が五百匹、羊が六百匹・・・。
羊もカカシ先生も、どんどん増えていく。
ああ・・・、もうこれ以上無理――
「眠れない眠れない・・・」 とぼやきながらも、絶対にカカシ先生の傍から離れようとはしなかった私・・・。
律儀にも、カカシ先生はずっと同じ姿勢のまま、壮大な羊の放牧に付き合ってくれたのだった。