私は、なぜサスケくんを追っているのか――
ふと、そう思う時がある。
サスケくんが大蛇丸の手に堕ちた時、私は本気で彼を救いたいと思った。
呪印に魅入られてしまった彼の目を何とか覚まそうと、有らん限りの知恵を絞った。
私は、自分の意思で綱手様の下に弟子入りを願った。
そして、たくさんの医療技術を学ぶ事ができた。
だけど・・・。
技を磨けば磨くほど、私の中に迷いが生じた。
どんなに修行に打ち込んでみても、その迷いは決して消え去る事はなく、寧ろどんどん大きく膨らんでいった。
たとえ私がサスケくんの呪いを解き放つ事ができたとしても、彼の罪はなくなりはしない。
里の同胞を何人も傷付け、無断で敵忍と通じ合う――
それは万死に値する重罪だから。
呪印に操られていたとは言え、後足で砂を掛けるような裏切り者に、この里は容赦などしない。
「オレが、ばあちゃんに一生懸命頼み込むから、ゼッテー大丈夫だってばよっ!心配すんなサクラちゃん!」
ナルトは、相変わらず希望を失っていない。
サスケくんを連れ戻せたなら、また昔のようになれると心の底から信じている。
でも私は・・・。
私は、本当は――
「・・・そうだね、ナルト。頑張ろうね」
心の片隅で、このままずっと逃げ延びてほしいと、願っている。
もう二度と顔を合わせる事なく、無事にどこかで生き延びてほしいと、願っている。
サスケくんに会って、はっきりと決着をつけるのが、どうしようもなく怖かった。
いつまでも未練がましく逃げ道を残しておきたかった。
そう・・・。私はサスケくんを目の前にして、怖気付いていたのかもしれない。
件のアジトまであと僅かと迫った、とある晩。
生い茂る木の枝に隠れるように、私達三人は野営をしていた。
小さな火を熾し、交代で見張りに立つ。
今はカカシ先生の番で、ナルトは近くの木の幹に寄り掛かりながら、ぐっすりと眠り込んでいた。
パチパチと木の枝が小さく爆ぜる音がする。
私も膝を抱え、何とか眠りに就こうと努力したものの、ずっと目が冴えたままだった。
気持ちが落ち着かない。
溜息紛いの呼吸を何度も繰り返す。
明日の事を考えると、どうしても気が急いたように不安に駆られ、緊張が高まった。
「ふう・・・」
つまらない考え事ばかりが、頭に浮かんだ。
こうなったら、いっそ潔く眠るのを諦めようか・・・。
膝に頭を預けたまま、視線だけをそっと動かす。
そして、火を絶やさぬよう枯れ枝をくべるカカシ先生を、そのまま黙って見詰め続けた。
(カカシ先生・・・)
炎に照らし出された手の動きを、自然と目で追っていた。
ポツンポツンと小枝をくべるたびに、伏し目がちな先生の瞳に一瞬だけ光が灯る。
いつもと変わらない、物静かな表情。
さすがに愛読書は紐解かないんだな・・・と、心の中でこっそり笑った。
単調で、どこか穏やかとも思える時の流れ――
粟立っていた心も、ゆっくりと凪いでいく。
(これで、少しは眠れるかな・・・)
ホッと一安心して、また目蓋を閉じようとした、その時。
パキッ・・・と乾いた音が、辺りに響いた。
握り締められた枯れ枝が、カカシ先生の手の中で粉々に砕け散った音だった。
空気が一転した。
ガクリと気温が下がり、ビリビリと肌を突き刺すような緊張感が辺りを支配する。
何物かがカカシ先生の心を蝕み、獰猛に徘徊している・・・。
そんな懸念を抱かせるほど、先生の背後からは禍々しいオーラが沸々とたぎり出していた。
一体どうしてしまったんだろう。
カカシ先生の身に何が起きているんだろう。
普段のカカシ先生からは想像も付かない、苛烈な心中の荒立ち。
ただただ圧倒されるばかりで、物音一つ立てられない。
空気が重い。とにかく息苦しい。
このままでは、カカシ先生の気配に押し潰される・・・。
そう、恐怖した瞬間――
ふと、カカシ先生の動きが全て止まった。
まるで、ぜんまいが切れたように、唐突に、投げ遣りに――
(え・・・?)
先程までの重々しい雰囲気などまるで嘘のように、カカシ先生の周囲は、静寂な空気に包まれている。
思わず、呆気に取られてしまった。
私は在らぬ夢でも見ていたのだろうか・・・。
カカシ先生は最初からそうしていたかのように、ただ静かに炎を見詰め、一人物思いに耽っていた。
・・・でも、先生の足元に散らばる木切れが、そうではないと物語っていた。
時間にすれば、ほんの数秒・・・。
文字通り、嵐の如く刹那に通り過ぎていったカカシ先生の気持ちの揺らぎ。
今ここに残っているのは、ひたすら深い悲哀の情と、シン・・・と張り詰めた後悔の念のようだった。
一体、何を悔いているのか・・・。
問うても、答えてはくれないだろう。
いつだって、カカシ先生は飄々と自分を取り繕い、その多くを語ろうとしない。
普段は、どれほど心が波立っても、決して周囲にはそれを悟らせようとしないから・・・。
言わば、あのマスクは、カカシ先生の心を護る頑丈な鎧。
そして、他人の介入を阻む堅固な防波堤。
マスクの奥――、有りのままのカカシ先生を知る人は、果たしてどれだけいるのだろうか。
ここにもまた、ずっと孤独と戦い続けてきた人がいる――
どんな事情が、カカシ先生をそうまでさせたか。
もちろん、その全貌を私は知らない。
でも、慰霊碑に通い詰める先生の背中から、その一片を垣間見る事は十分にできた。
サスケくんとは似て非なる、カカシ先生の孤独との戦い。
その思いを想像する。
遣る瀬ないほどに、気持ちが波立つ。
無性に涙が零れそうになり、込み上げる想いに一気に突き動かされた。
そして気が付けば、私はカカシ先生のすぐ傍へと駆け寄っていた。