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月が高く昇っていた。



日中の熱気も賑わいも、嘘のように静まり返った石畳の遊歩道。

どこかひんやりとした夜半の空気に肌を晒され、私は一人肩を抱いて立っていた。

カタカタと細かく身体が震えていた。

悪寒のような身の震えに、指先までも氷のように冷え切っていた。



嫌な確信があった。

間違いなく彼は来るだろうと思えて仕方がなかった。



やがて、気配を忍ばせた足音が、ひたひたと石畳に響いた。

針のような月明かりが、幽かに辺りを照らしていた。

黒い服に黒髪のその人は、闇にひっそりと紛れるようにその道を歩いてきた。

全ての繋がりを断ち切るために。

全ての想いを葬り去るために。

どこか強張った顔付きで闇の先をじっと見据え、どこまでも一人で歩き続けようとしていた。



私は、必死に彼を止めにかかった。

一緒に連れていってほしいと懇願し、復讐でも何でも手伝うと訴え続けた。



でも、どこかで私は高を括っていた。

きっと誰かが、彼を引き止めてくれる。

私じゃない誰かが、彼をこの場に踏みとどめてくれるに違いないから・・・。

だから、そんなに無理をする事はない。

私じゃなくても大丈夫。

私は、彼に必死に取り縋る振りをした。

「あなたが好きで好きで堪らない」 と訴え続ける自分の姿に、ずっと酔い痴れていた。

だって、私の物語の主人公は、誰でもない私なのだから。

素敵に格好良く振舞わなくては、意味がなくなってしまうではないか。

誰だって、自分が一番可愛いもの。

自分を捨ててまで、他人に係わるなんて愚の骨頂――



私は、この悲劇のヒロイン役に、心底満足していた。

この迫真の演技に、感銘を受けない人間がいる訳ないと、思い込んでいた。



でも、聡い彼は、私の欺瞞をいとも容易く見破った。

「フ・・・」 と鼻で笑われた瞬間、私の全身は、怒りと羞恥と、「やっぱりな・・・」 という諦念で覆われた。

彼が本当に求めていた“絶対なる愛情”を、生憎私は持ち合わせていなかった。

だって私は、自分を愛する事が一番大切だったから。

彼を好きになっている自分が、一番大切だったから。

だから、私はそれ以上、彼に追い縋る事ができなくなってしまった。



そして、彼は後ろを振り返る事なく、私の前から去っていった。





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「サスケ・・・くん・・・!」



また、夜更けにベッドから飛び起きてしまった。

びっしょりと嫌な汗をかき、大きく息も乱れている。

またこの夢だ・・・。

生々しいほど現実的な、あの日の夢。

もう何回、この夢を見ているのか分からない。



乗り越えた筈だった。

自分なりに決着をつけて、きちんと納得した筈だった。

彼が出ていった事実も、彼を引き止められなかった事実も、全てを受け入れたつもりだった。

でも、そう思えば思うほど、頻繁にサスケくんが夢に現れるようになってしまった。



きっと、『あの過去を忘れるな』 という、もう一人の私からの警告なのだろう。

もしかしたら、私の心の奥底にある大切な部分が、あの日、歪んで捻れて壊れてしまったのかもしれない。

そして、その傷を無意識に封印して、そこだけ時間が止まっているのかもしれない。

現実を受け入れられずに反発する自我の残滓。

こんな形で発露するしかなかったとしても・・・。



でも、あの時、私は本気でサスケくんを止めようとしていた。

彼を「好き」 と思う気持ちに、嘘偽りは決してなかった。

だから、サスケくんがこの地を去ったと知った時、私は絶望のどん底で喘ぎ苦しんだ。

・・・そう、今でも信じている。

あの日の私は、真剣だった、と。



だけど、私は今、別の人に気を取られている。

サスケくんの事は二の次で、いつだってカカシ先生の事ばかり考えてしまっている。

誰よりもカカシ先生に惹かれている。

これは、紛れもない事実。

そしてその事を、私の中のもう一人の私が、ずっと苦々しく思っている。



「・・・・・・」



最近、カカシ先生を好きと意識すると、決まって後ろめたい気持ちに駆られてしまう。

最初は、そんな事はなかった。

普通にドキドキして、ワクワクして、傍にいるだけで気持ちがフワフワと舞い上がった。

他愛ない言葉を交わしただけでも、天にも昇るくらいに心がのぼせ上がった。



だけど、いつしか胸がズキズキと痛み始めた。

どうして、カカシ先生だけなんだろう。

過去にも数回、同じ忍仲間をいいなと思った事はある。

けれど、こんな風に心苦しくなる事は決してなかった。



真っ暗な天井を見上げながら、昼間の出来事をぼんやりと思い起こした。

キラキラと輝いて見えた小さな立ち姿。

ゆっくりと振り向きかけた特徴ある横顔。

私に向かい、穏やかに挙げられた長い腕。

そんな一つ一つが、大切な宝物のようにきらめいて見える。

仄かに心が温かくなって、身体中がカカシ先生で一杯に満たされた。

どうしようもないほど、先生に逢いたい。

今すぐにでも逢いに行きたい。



キリキリキリ・・・



あ・・・、まただ・・・。

また、胸の奥深くがキリキリと激しく痛み出す。



「ウラギリモノ・・・!」 と罵る声。

裏切ってなんかいないよ。

忘れてなんかいないよ。

ただ、それ以上に好きと思える人ができてしまっただけ。

私はただカカシ先生が好きなだけ。



ただ、それだけなのに・・・。



枕に顔を埋めて、必死に胸の痛みに堪えた。

どうして駄目なの。

どうして、カカシ先生ではいけないの。

答えなんか見付からない。永久に分かりっこない。

あの日のサスケくんの孤独な瞳が、頭の中に蘇る。

それでも私は、カカシ先生に逢いたくて逢いたくて仕方がなかった。