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時は、決して振り向かない。

どんなに私が後悔していようとも。

時は、決して立ち止まらない。

どんなに私が道を探しあぐねていようとも。



目まぐるしく移ろい行く煩雑な日々。

当たり前顔で過ぎていくだけの淡々とした日常。

巡り行く時の流れの中で、私の生活は一見平穏を取り戻したかのようにも見えた。

何も変わらない。何も変わってなどいない。

たった一つ・・・、あれ以来、カカシ先生とナルトには一度も会っていない事を除いては。



「サクラ」



火影室の前で、綱手様に呼び止められた。

その時私は大量の書物を抱え、部屋と資料室を何度も往復している最中で、汗と埃に塗れた顔で勢い良く振り向いた。

相変わらず、綱手様の執務室は物に溢れ返っている。

普段は、シズネさんがあれこれ世話を焼いているのだが、ここ数日任務で留守にしているのか、部屋の中が大変な事になっていた。

仕事が忙しいのは分かるけれど、これは余りにも常軌を逸している。

日に日に堆く積み重なっていく資料や書籍の束。

それも、乱雑にただ載せているだけだから、途轍もなくバランスが悪い。

横を通り過ぎるだけで、グラグラと盛大に山が横揺れする。

これでは、何かの弾みで一気に山が崩落しかねない。

見るに見かねた私は、とうとう部屋の掃除を買って出た。



懐かしい匂いがした。

ここに毎日通って修行を付けてもらっていた日々が、つい昨日の事のようだ。



『班員の命を預かるのは隊長の役目だが、その隊長の命を預かってるのは医忍のお前だ。医忍って仕事はね、隊長以上に厄介なんだよ』



医忍として独り立ちした時に綱手様から贈られた言葉が、耳元を掠める。

あれから、私はどれだけ成長したんだろう。

サスケくんを、カカシ先生を、みんなを救うんだと決意したあの日、私の中で何かが熱く燃え滾っていた。

何の技量も持ち合わせていなかったが、心意気だけは十分過ぎるほど溢れ返っていた。



「そうそうむきになって綺麗にしなくてもいいんだぞ」

「何言ってるんですか、師匠・・・。このまま放っておいたら、明日には足の踏み場もなくなっちゃいますよ」

「うーん。そこまで酷くはないだろう」

「いえ、酷いです」



キッパリと言い放ち、また部屋の掃除に取り掛かる。

くるくると独楽鼠のように立ち動く私を、廊下から所在なげに眺めていた綱手様が、ふと思い付いたように声を掛けてきた。



「そうそう・・・、お前宛に一件召集依頼が来てるんだが」



誰からとは告げられない。ただ、懸念するような視線を送られた。

ぱたりと掃除の手が止まる。

急激に現実に引き戻され、ざわざわと心が波立った。



「・・・・・・」

「まだ、駄目か?」

「すみません・・・師匠・・・」

「・・・いや、構わん。精神の安定を欠いて、チャクラコントロールに支障でもきたしたら、元も子もないからな」



口振りとは裏腹に、ジロジロと穴が開くほど顔を覗き込まれた。

『いい加減に現実と向き合え』 ―― その容赦ない視線の前で、私はただ俯くしかできない。

私が何を迷っているのか、私が何に拘っているのか、きっと綱手様には一目瞭然だろう。

刺すような眼差しにじっと耐えながら、私も唇を噛み締め、意地を張り続けた。



「・・・ちょっと、その辺を散歩してくる・・・」



唐突に無言の駆け引きに終止符を打ち、何事もなかったかのように、のんびりとした歩調で綱手様が去っていく。

一人、部屋に取り残された私は大きな溜息を漏らすと、手近な椅子に腰を下ろした。



「ふぅ・・・」



カカシ先生の依頼を断るのは、これでもう何度目か・・・。

いつまでもこんな事を繰り返せないとは分かっている。

でも、カカシ先生に会えば、何かに連れてサスケくんを思い出してしまうだろう。

傷はまだ癒えていなかった。

サスケくんを思うと、ズキズキと激しく心が痛んだ。

後悔なのかもしれない。

未練なのかもしれない。

こんな割り切れない気持ちのまま、カカシ先生に会える筈がない。

今更どうする事もできない感情を持て余し、ただ現実からズルズルと逃げ回っていた。

一歩前へ突き進む勇気が、今の私にはどうしても湧き起こらなかった。





そんな私を置いてきぼりに、季節がどんどん移り変わる。

以前にも増して慌しい毎日。

ある事から逃れるように、私は修行や任務に没頭していた。

でも、どんなに頑張っても、心がすっきりと晴れ渡る事はない。

あの時ぽっかりと開いた穴は、決して塞がろうとはしなかった。



時折り、廊下や庭の片隅で、どうしようもなく懐かしい気配を感じてしまう。

その気配は、そっと遠くから案ずるように静かに私を見守っていた。



すぐに分かった。

カカシ先生だ・・・。



振り向きたい思いに、身が焦がれる。

駆け寄りたい衝動に、心がちぢに乱れる。

先生に会いたい。

本当は、会いたくて会いたくて堪らない。

忘れた事なんて一度もない。

ずっと先生の事ばかり考えていた。

・・・でも、その度にサスケくんの残影が、私の心を縛り付ける。

頑丈な枷のように、辛く重くのしかかる。



「・・・・・・」



結局、意地になって身を強張らせた。

決して振り向かないよう、固く拳を握り締めた。

胸が痛い。

ズタズタに引き裂かれて、後から後から血が噴き出してくる。

でも、今は駄目。

会えば、もっと胸が痛んでしまうから――



食い縛った口の端に、ポロポロと涙が零れ落ちた。

後ろ髪を引かれながらも、懸命に前を向き続けた。

せめて、サスケくんが思い出に変わるまで。

もう、痛みも何も、感じなくなれるまで・・・。

それまでは、ごめんなさい。

この想いは、封印します――



見送る視線を、すげなく振り払った。

泣いてる素振りを悟られぬよう、思い切り天を仰ぎ、虚勢を張り続けた。

密やかに気遣ったままのカカシ先生の気配。

やがてその気配も、フッ・・・と静かに消えていった。



「・・・・・・」



あああ・・・。



どうしようもない喪失感。

救いようのない虚無感。

後悔の念ばかりが、グルグルと頭の中に渦巻いている。

世界にたった一人取り残されてしまったような疎外感と遣り切れなさ。

一番大切な人に見捨てられてまで、私は何をしたいんだろう。



でも。

これで・・・、これでいいんだよね・・・。



こうでもしなければ、私はいつまでも過去の亡霊に囚われたまま・・・。

勝手に築き上げたサスケくんの偶像に未練を抱き、二度と現実世界に戻れない。



自ら引き裂いた胸の傷をじっと見詰め、流れる血の痛みにひたすら耐え続けた。

石のようにその場に立ち尽くす私を、みんながジロジロと追い越していく。

いっそ本物の石になってしまえたら、どれだけ楽だろう。

時の流れに取り残され、不恰好に足掻き続ける私を、風が嘲笑い、思い切り頬を殴りつけていった。