闇に紛れて、木立の中を若い狐の面が音もなく移動している。



(あー・・・、最後の最後にミスったな・・・)



暗部を意味する肩下の刺青が、どす黒い血に染まっていた。



敵の忍と戦闘中、一瞬の隙を付かれて剥き出しの腕を傷付けられた。

咄嗟に相手の頚動脈を掻っ切って事無きを得たのだが、毒でも仕込まれたのか、左腕の自由が利かない。

経験上、命に関わるような重篤な毒ではないと分かっていたが、やはり腕が使えないのは不自由だ。

アカデミーの医務室に立ち寄って、解毒薬でも調合してもらうか・・・と思った。







           ――― 理不尽な恋? ―――







カラカラカラ・・・



白い引き戸を静かに開けると、鮮やかなピンク色が目に飛び込んできた。



「あら・・・、どうかされましたか?」



いつもここにいる年配の医療忍者ではない、まだあどけなさが残っている少女がカルテの整理を行っている。

面を付けた暗部の少年に親しげに微笑みかける姿が、まるで大輪の花のようだった。



「あ・・・、ちょっと毒にやられて・・・、キミも医忍?」

「いえ・・・、まだ見習いなんです。先生は所用でちょっと席を外されてて・・・。

 軽い怪我なら手当てできますが、先生の方がよろしければ、少し待ってもらうようになりますけど・・・」



申し訳なさそうに謝る様子が、少年には何だか好ましく見えた。

少年はつかつかと少女に歩み寄って、



「あー、キミで十分。あんな親父に診てもらうよりよっぽどいいよ」



と、気安げに診察用の椅子にどさっと腰掛けた。



「それでは、失礼しますね・・・」



患部の上に手を翳し、少女が怪我の状態を確認する。

真剣な眼差し。

面越しに見える少女の瞳の輝きが、やけに新鮮に映る。



「毒自体は、極々弱いものですね。このままでも二、三日で消えますが、念の為に解毒薬を調合しますね」



ニッコリ笑って幾つかの薬草を揃えると、手早く薬を作り始めた。

迷いのない、しっかりとした動きが少女の優秀さを物語っている。



「へー・・・、手馴れたもんだね。・・・キミまだ若そうだけど、幾つ?名前何ていうの?」

「あ、はい・・・、春野といいます。春野サクラです。年は・・・、もうすぐ16です」

「へー、サクラちゃんっていうの・・・。キミにピッタリの名前だね。年もオレとそう変わらないのか・・・」

「えっ?変わらないって・・・、そんな若くて暗部にいるんですか?凄いんですね」

「別に凄くないよ。オレよりガキって奴もざらにいるし・・・。それよりさ、サクラちゃん今日何時に終わるの?」

「え・・・? 何時って?」

「ねぇねぇ、この後一緒にお茶でもどう?」

「な、何言ってるんですか!? 今何時だと思ってるんですか?」

「何時って・・・、あぁ、もう十時近くか・・・。お茶じゃなくて酒の時間か。じゃあさ、明日でもいいよ。明日何時に終わりそう?」

「・・・それだけ元気があれば直ぐに良くなります。これ飲んで早く寝てください」



強引な少年の誘いに、なにやら苦そうな薬瓶を差し出して素っ気無く切り返そうとした少女だったが、

どうにも少年の方が一枚も二枚も上手らしい。



「明日もこんなに遅いの?それとも六時くらいには終わる?余裕持って七時がいい?」

「え・・・」

「じゃあ、間とって六時半ね。アカデミー入り口脇のベンチで待ち合わせ。OK?」

「ちょっと待ってください!・・・そもそも、何で私が初対面のあなたとお茶しなきゃいけないんですか!?」

「いーじゃない、別に。誰だって最初は初対面だよ」

「そうじゃなくて・・・。第一、私あなたの事知らないんですよ? 誰が誰だか分からなくちゃ、待ち合わせしようがないじゃないですか」

「そうか。そうだよねー。面付けたままじゃデートのしようがないもんねー」

「いえ・・・、そういう事じゃなくって・・・」

「えー?そんなに知りたい?オレの事。・・・興味ある?」



事も無げに暗部の面を外すと、「よく憶えといてねー」と呆気ないほど簡単に素顔を晒す少年。

悪戯気味にキラキラと輝やく紅と蒼の瞳が、真っ直ぐ少女を捉えている。

まだどこかに子供らしさを残した真っ白な頬はすべすべとしていて、ニッと笑った口元がきれいな弓形を描いていた。

思いのほか整った面立ちで、少女は思わず見惚れてしまっている。

してやったりとほくそ笑む少年は、面白そうに顔を近付けた。



「あれー?サクラちゃん、どうしたの?顔赤いよ?」

「えっ!?・・・や・・・その・・・あの・・・」



慌ててパタパタと手で扇ぐ少女に、ますます近付く少年。



「ひょっとして・・・、一目惚れ?」

「な、何言ってるんですかーー!ち、違います!暗部の癖に簡単に素性をばらしているからビックリしたんです・・・。

 ・・・そんな簡単に、ホイホイ面を外しちゃっていいんですか?」

「んー、よくない」

「よくないって・・・」

「火影様にばれたら・・・、叱責どころじゃ済まされないよ。キミもオレも」

「えぇ・・・、私まで・・・?」

「そりゃー、何たって暗部の素顔目撃者だもの。・・・よーく覚悟しといた方がいいかもね」

「そ、そんなぁ・・・」

「じゃ、無事に顔も分かった事だし・・・。明日楽しみにしてるよー」

「ちょ、ちょっと待って!まだ私そんな約束してません!」

「あれー?顔見せたらデートしてくれるって言ったじゃない」

「言ってませんよ!顔も知らない人と待ち合わせできないって言ったんです」

「だから、もう顔も分かったから待ち合わせできるでしょ?」

「・・・は?」

「そういう事で、明日よろしくね。・・・・・・あ、くれぐれも、知らんぷりして、すっぽかそうなんて思わないほうがいいよ。

 暗部を敵に回すとどうなるか・・・賢いキミなら分かるよね?」

「・・・・・・」



ニッコリと優しい笑顔のまま、少年の物騒な物言いに、心なしか少女は青褪めている。

何が何だかよく分からないうちに少年にいいように言い包められてしまい、思わず涙ぐんでいた。



「じゃあね、サクラちゃん。また明日」



椅子から立ち上がり、そっと右手を差し出した。

よく分からないまま、深く考えずにその手を掴んだ少女は、



グイッ――



物凄い勢いで引っ張られた。



「キャー!」



勢い余って、そのまま少年の胸に激突する。

直ぐ目の前に、あの悪戯そうなニコニコ顔があった。



「・・・え?」

「オヤスミ」



チュ・・・と少年の唇が、少女のおでこに軽く触れた。



カァァァァァ――

何をされたか意識した途端、少女の体温が一気に上昇した。



「ななななななな・・・・」

「あれ、どうしたの?」

「なななななに・・・ななになに・・・」



おでこを押さえ、真っ赤になって口をパクパクさせている少女をしげしげと見詰めている。



「・・・ひょっとして、これだけじゃ気に入らなかった?じゃ、もうちょっとだけサービス・・・」



くいっと少女の顎と持ち上げると、すかさずその唇に触れてきた。



―――!」

「じゃ、今度こそ本当にオヤスミ。また明日ね・・・」



ニッコリ笑いながら一方的に言いたい事を言って、ボンッと煙と共に少年が消え去った。

一人取り残される少女。






台風一過――





おかしな例えが、頭に浮かんだ。










(ななななななな・・・、何なのよ、あいつは・・・!乙女の・・・、乙女の純情を弄びやがってーーー!)



今頃になって、ようやく理不尽な仕打ちに対する怒りが沸々と湧いてきた。

プルプルプル・・・



(ちょっとくらいカッコイイからって付け上がりやがって・・・。誰が明日逢ってなんかやるもんかーーー!)



怒りに任せながら、薬草の使用及び処方報告書を書き上げようと席に着く。

そして、とんでもない事に気が付いた。



「あ・・・、名前聞くの忘れた・・・」



少年のペースにすっかり嵌って、自分の名前は名乗りながら肝心の少年の名前を聞き忘れていた。

これでは報告書が完成できない。



「あちゃー・・・、どうしよう・・・」








また明日ね・・・。

少年の笑顔が脳裏をよぎる。









また明日・・・、また明日・・・。







ドキンッと突然胸が高鳴った。

おでこが・・・、唇が・・・、ジンジンするほど火照っている。







「な、名前聞くだけよ・・・」



(そうよ。名前だけ聞いて帰ってくればいい――



胸の高鳴りの理由にはあえて目を瞑って、明日少年と逢う言い訳を見つけホッとする少女。

ほんのりと頬が赤いのを、本人はまだ気付いていない。











時は三月、サクラの季節。



恋に、仕事に・・・、綺麗に花咲くお年頃・・・である ―― ?