――― 犬も食わない痴話喧嘩 ―――
てくてくてく・・・
わざとらしくムッと頬を膨らませて不機嫌そうに歩く少女と、その後を困り顔でついていく男。
言わずと知れた木の葉の精鋭たる忍、はたけカカシと春野サクラである。
「なあ、サクラ」
「・・・・・・」
「まだ怒ってんの?」
「・・・あったり前でしょ?」
「だーから、あれは違うの。サクラの勘違いだって」
「勘違いじゃない」
「勘違いだよ」
「勘違いじゃないわよ!どっからどう見ても、立派に不義を働いてたわ!」
怒りに肩を震わせ、サクラがキッとカカシを睨み付ける。
どうやら冗談ではなく、本気モードで怒ってるらしい。
サクラの背後から、どす黒いオーラが今にも立ち込めてきそうで、カカシは思わずたじろいでしまった。
「ふ、不義だなんて大袈裟な・・・。あれはれっきとした任務の一部で――」
「あーもう、うっさい!言い訳なんか聞きたくない!」
「言い訳じゃないよ。状況説明だよ」
「・・・おんなじじゃない・・・」
「同じじゃないでしょ。全然違うでしょ・・・」
「どこがどう違うっていうのよっ!」
カカシが釈明しようとすればするほど、サクラは猛烈に反発してくる。
烈火に大量の油をぶちまけるが如く、怒りのパワーは猛々しく火柱を上げ、荒れ狂って収まらない。
さすがのカカシも、これには参った。
「おーい。とにかくオレの話をちゃんと聞いてくれよ」
「・・・・・・」
「サークラァ・・・。サークラちゃんっ」
「ふん!」
「・・・はあ・・・」
ガクリと肩を落として溜息を吐いた。頭を掻きつつ、プリプリ怒る背中をそっと眺める。
最近、サクラのやきもちがやたらとヒートアップしているのは気のせいか。いや、絶対に気のせいではない。
カカシが、依頼人の女性に余計な笑顔を振り撒いただとか、必要以上に傍に寄り付き、親密に会話をしていただとか、
ほとんど言い掛かりに近いような事を捲し立て、目くじらを立ててカカシに八つ当たりしてくるのは事実だ。
「あのなー。依頼人と顔合わせて話しないと、仕事になんないでしょ?」
「だからって、あんなに鼻の下伸ばして愛想を振り撒く事ないじゃない」
「おいおい、笑顔ってもんはな、円滑な人間関係を素早く確実に築くための大切な潤滑油なんだぞー。単なる営業スマイルでしょーが」
「ふーん。営業スマイルねー」
「なんだよ。その冷ややかな眼差しは・・・」
「まったく・・・。向こうの真の目的も知らないで、よくそんな呑気な事言ってられるわね」
「真の目的?」
「カカシ先生ともあろう人が、そんな簡単な事も分からないなんて・・・。情けなくって涙が出るわ」
「何言ってんの・・・?」
「ねえ。本当に、その名だけで他里のツワモノ忍者をビビりあがらせる『写輪眼のはたけカカシ』なの?」
「・・・ああ、そうですけど」
「はっ・・・。地に堕ちたもんだわねぇ」
「言ってくれるじゃないの、随分」
「とにかくね、先生がそんな調子だから、もうすっかり相手の思う壺なのよ」
「壺・・・?あー、オレ壺はないけど、カメなら持ってるぞ!」
「誰も先生の家のカメの話なんてしてなーい!話を逸らすなぁー!」
「・・・スミマセン」
本日カカシとサクラは、隣国から火の国へ特使として派遣された、とある大名夫人とその令嬢の護衛任務を任されていた。
特使といえば聞こえは良いが、要はショッピングだのエステだの、観光スポット豊富な火の国に物見遊山で立ち寄っただけの母娘であって、
つまり二人は、火の国滞在中のセレブ母娘のエスコート役兼観光ガイド兼荷物持ち兼雑用係なのである。
しかも、エスコート役と観光ガイド役は、いつの間にかカカシの役目となってしまい、サクラは完全に荷物持ちと見なされていた。
当然、面白い訳はない。
丸一日、ゴージャスに着飾った母娘に囲まれて、まんざらでもない様子のカカシを目の当たりにし、とにかくサクラはおかんむりだった。
そりゃそうだろう。誰だって自分の好きな男が、自分以外の女と仲良くいちゃついているのを見て楽しいはずがない。
それに、敵の襲来も全く無縁な護衛任務など、本来、里のトップクラスにあるカカシが請け負う任務ではなかった。
下忍ではさすがに拙いが、中忍程度なら十分にこなせる任務であるはず。
なのにわざわざ高い依頼料を払ってまでカカシを指名してくるのだから、絶対に何か腹積もりがあるはずだと、サクラは確信する。
そして、そういう目で彼等を見てみると、何かにつけてセレブ母娘が、カカシの腕や身体にベタベタと触れてくるのが一層気に食わない。
カカシもカカシで、わざと彼女達の耳元でにこやかに何かを囁きかけては、彼女達の嬌声を一身に浴びている。
(な、なんなのよ・・・!不細工な七面鳥みたいにキィーキィー声を張り上げちゃってさっ!)
本来、七面鳥はキィーキィー鳴いたりしない。
しかし、サクラには件のセレブが不細工な七面鳥に見えるのだから仕方がない。
・・・とにかくそういう訳で、サクラは物凄く機嫌が悪かった。
「護衛役どころか、まるで場末のホストよね。カカシ先生」
「ホストって・・・。しかも、寄りにも寄って場末なのかよ」
「あのね。超一流のホストはね。あんなあからさまに女の人に媚びたりしないの。もっと、さり気なーく細やかーに、気遣いするものなの」
「別に媚びちゃないけど・・・」
「媚び媚びだったじゃない!公衆の面前で、下心見え見えの顔ベタベタ押し付けちゃってさぁ。ホント恥ずかしいったらありゃしない!」
「おい、無理矢理顔押し付けてきたの向こうだぞー。オレは無実だ」
「よけなかったじゃないの」
「よけらんないでしょ、普通・・・。もしもそれで機嫌損ねて、五代目のトコに文句言いにいったらどうすんだよ」
(あーあ。だからサクラ連れてきたくなかったんだよ・・・)
『はたけカカシ+その他一名』と依頼された今回の任務。
その他一名を誰にするか。単なる荷物持ちなら、そこら辺で暇そうにしている新米下忍で十分だ。
事実、カカシはそうするつもりでいた。
しかし、どこでどう話を嗅ぎ付けてきたのか、サクラが「私が同行します!」と強引に綱手に申し出た。
その時点で、嫌な予感は既にあった・・・。
そして、嫌な予感ほど的中してしまうものなのだ。
依頼人母娘と顔を合わせるなり、サクラは敵愾心剥き出しにガン飛ばし始めたから、事態は一気に悪化した。
とかく女という生き物は勘が鋭い。
それも、自分が好意を抱いている異性に関する事柄には、信じられないほど勘が鋭い。
顔を合わせてものの数秒で、依頼人母娘とサクラはすっかり敵対関係に陥った。
しかし、腐っても依頼人。
大抵の事ならカカシが断れないのを盾に、これ見よがしにカカシに纏わり付いては、サクラを挑発する。
挙句の果てに、無事一日目の護衛任務を終え、宿泊先の門の前まで送り届けたカカシと別れる間際に、
二人して夥しい香料の身体をべったりと摺り寄せて、頬と頬だか、鼻と鼻だかをすりすりと擦り合わせる異国式の挨拶をやってのけた。
「!!!」
カカシが大慌てでサクラを連れ去らなければ、その場は目も当てられぬほどの凄惨な修羅場に成り果てていたに違いない。
あれほど怒り狂うチャクラを感じたのは、カカシといえども初めてだった。
(いやはや、サクラが瞳術遣いじゃなくて本当に助かった・・・)
「サクラは幻術タイプだから・・・」と、いつか瞳術を指南しようと思ってるうちに綱手の弟子になってしまい、結局教えず仕舞いだった。
何が幸いするか分からないものだ。
もしもサクラが開眼していたら、間違いなくこの里全部が吹っ飛ばされてたに違いない。
・・・で、とにもかくにも、サクラは機嫌が悪いのだった。
「なんなのよあの人達は・・・!」
「なんなのって、依頼人母娘・・・」
「そんなの分かってるって!」
「・・・はい」
「まったくもう、依頼人なら何やっても許されると思ってんのかしら!」
「いや、そうじゃないと思うけど・・・」
「大体、良識ある依頼人なら、真昼間から人前であんな破廉恥な真似しないわよねー」
「真昼間って、もう夕方ですが・・・」
「なんか言った!?」
「いえ言ってません・・・。でもな、あれはあれで他所の国ではちゃんとした挨拶法なんだぞ」
「他所は他所ここはここ!火の国じゃ普通あんな挨拶しないでしょ!?」
サクラがいきなり挑発したから、こんな事になったんだろうに・・・と、カカシは内心頭を抱え込む。
しかし、今のサクラにその言い分は通用しそうにない。
依頼された任務期間は、今日を含め、丸三日間。
果たして、無事に任務完了を迎える事はできるのだろうか・・・。
(こりゃ、とんでもない大仕事になっちまったなあ・・・)
すっと彼女の脇に立ち、並んで歩こうとするのだが、サクラは更に前に出る。
どうやら暫くはカカシの顔など見たくないという意思表示なのだろう。
その癖、プリプリ怒った背中は、カカシがちゃんと自分を気に掛けてくれているか、しっかりと窺っていた。
(まったくもう・・・)
小さく肩を竦めてフッと笑うと、カカシはさり気なくサクラの肩を抱き寄せた。
「サークラっ!」
「・・・なによ」
相変わらず目を合わせようとはしないが、逃げ出す気配はない。
ぷーっと剥れた頬を片目で見下ろしながら、カカシはそっと顔を近付けた。
「なあ。顔引っ付けられたっていっても、マスク越しにちょっとさわられただけだから」
「それだって十分な裏切り行為だわ!」
「ん。ま、そうだけどな」
「おまけに、マスクに香水がびっちり染み付いちゃって・・・。ホント最悪」
「あ、悪い」
慌ててマスクを引き下ろすと、そのままそっとサクラに口付ける。
余りに自然な動作だったので、サクラは自分が何をされているのか、瞬時に理解できなかった。
「・・・え?」
そこだけ時が止まったかのように、二人は動きを止めている。
サクラは大きく目を見開いて、ほんの数センチ先にあるカカシの顔をまじまじと眺めていた。
カカシも、サクラからぴくりとも目を逸らさない。
いつの間にか左目を覆う額当ても取り払われていて、ぴったりと唇を押し付け合ったまま、四つの瞳が往来の真ん中で奇妙に錯綜していた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
どれくらい、そうしていたのだろう。
道往く人達が、驚いたように二人を眺めている。
中には「ヒューヒュー!」とあからさまに冷やかす人もいて、ようやく我に返ったサクラは、カカシの腕から逃れようと大きくもがいた。
でも、カカシの腕は外れない。
反対に、より一層強く唇を押し当てられて、サクラの背中はグンと大きく仰け反ってしまった。
「んぐっ!んぐぐぐぐぐ・・・!」
両手でドンドンとカカシの胸を叩き、なんとか窮状を訴えようとしても、今度はカカシが聞く耳を持たない。
暴れる両手をいとも易々と片手で掴み、強張る背中を優しくスーッと撫で上げながら、執拗に舌を絡ませてくる。
(これって、まるで二人っきりの時の・・・)
もしもこれが二人っきりの室内だったら、容易にその先に雪崩れ込みそうな、ねっとりとしたキス。
サクラだって、もちろん羞恥心は人並みに持ち合わせている。
もうとにかく、顔から火が噴き出すほど恥ずかしくて堪らない。
しかし、どうにもカカシは顔を離してくれそうにないのだ。
・・・結果、サクラは衆人の面前で泣きそうになりながら、とんだ濃厚なラブシーンを演じる羽目となった。
「ふぇ・・・ふぇんふぇい・・・」
涙目で嫌々と首を振っても、器用にカカシは唇を追い回し、舌を搦め捕ったまま離さない。
次第にサクラの頭はぼうっと霞み出し、周囲の視線もだんだん分からなくなってきた。
目に見えて、抵抗する威力が落ちてきている。
やがて、色違いの瞳に暗示でも掛けられたのか、サクラの力がすとんと抜け落ちた。
「ふっ・・・んふぅ・・・・・・」
真っ赤に顔を火照らせながら、サクラが恨めし気にカカシを見上げている。
大きく見開いた瞳は今にも零れそうなほど潤んでいて、心なしか胸も息も小さく弾んでいた。
サクラの抵抗がすっかり収まったのを確認して、ようやくカカシが顔を離す。
「・・・せんせ・・・」
「あのさ。こうやって、マスク越しじゃなくて直にさわれるのは、サクラだけなんだけど」
「・・・分かってるわよ、そんな事・・・」
今にも消え入りそうな声で、「んもう・・・、家に着くまで我慢してよ・・・」と呟くと、カカシの胸にすっぽりと顔を埋める。
カカシはギャラリーの好奇に満ちた視線にウインクを一つ投げ飛ばし、真っ赤に染まったサクラの耳元に口を寄せると、優しく囁き返した。
「ごめん。怒ってるサクラが可愛い過ぎて、どうにも我慢できなかった」
「・・・・・・ばかぁ・・・・・・」
相変わらずサクラは顔を見せてくれないが、くたっとカカシに身体を預ける様は、いつものサクラと同じようだ。
フーッと小さく息を漏らすと、カカシは「やれやれ・・・」と小さく微笑む。
思えばカカシは、こんなあからさまにやきもちを焼く異性と付き合った事など一度もなかった。
みんな物分りの良い大人の振りをした奴らばかりで、浮気の一つや二つお互い様だと割り切っていたから、厄介な反面、新鮮で面白い。
「さーて、帰りますか」
「・・・本当はまだ怒ってるんだからね・・・」
「はいはい」
「すっごいショックだったんだからね」
「あー、悪かった」
「こんなので誤魔化されたりしないんだからね」
「・・・そうか。なら仕方ないな」
小さくごねるサクラをひょいと抱き上げると、ぴたっとおでこをくっ付ける。
「うわっ!」
「んじゃ、お詫びに」
「・・・な、なに?」
「一晩かけて、サクラにご奉仕いたします」
ニヤリと笑って、もう一度だけ唇に軽く触れる。
そして、改めてサクラを抱きかかえ直すと、
「しっかり掴まってろよー!」
一陣の風となって、カカシの身体が宙を舞った。
必死にしがみ付くサクラも併せて風になり、カカシと一緒に空を切る――
「もしも」
「え?」
「もしもだよ。オレが本当に浮気したら、お前どうする?」
「そんなの決まってるじゃない。二度と浮気できないような身体にしてあげるわよ」
「うわっ・・・」
「なんたって私には、綱手様仕込みの知恵と力があるんですからねーだ!」
カカシの腕の中で、ふふんとサクラが不敵に笑う。
容易にその様が想像できて、カカシは思わず苦笑いを浮かべた。
(あははは、サクラなら本当にやりかねないよな・・・)
今日のところはなんとか機嫌が収まったが、明日は一体どうなる事やら。
多分・・・、いや十中八九、またあの依頼人母娘と激しく遣り合ってくれるに違いない・・・。
(参ったなあ・・・)
カカシの内心を知ってか知らずか、サクラが楽しそうにクスクス笑っている。
華々しく成長した可愛い恋人を頼もしく思いながら、とりあえずは明日の任務の首尾をどうするか、頭を悩ますカカシであった。