用意するもの。


ピンク色の新品のリップクリームに、銀色の針。

それと、赤いサインペンと絆創膏1枚。


『針でリップクリームに憧れのあの人の名前を刻み付けましょう。

リップクリームを誰にも貸さずに一人で使い切れば、きっと憧れの人と両想いになれます』


『手首に赤い文字で彼の名前を書き込み、それを隠すように絆創膏を貼り付けましょう。

絆創膏が1週間剥がれなければ、きっと大好きな彼に振り向いてもらえます』



最近、里の女の子の間で密かに流行っている、効果覿面らしい恋のおまじない。







――― ピンク色の片想い ―――







シャワーで身を清め、机の前で深呼吸をして居住まいを正した。


「・・・よし」


そうっとリップクリームのキャップを外す。

厳粛な面持ちでつまみを回すと、薄紅色のツルツルとした硬質の蝋が顔を現した。



ドキドキと高鳴る鼓動。

必死で落ち着かせようとするが、どうしてもうまくいかない。

針を持つ手が、小さく震えた。

緊張・・・? それとも恥ずかしさ・・・?

誰にも見られていないのに、どんどんと顔が火照ってくる。


――― ふう・・・。 落ち着いて、落ち着いて・・・


何度も何度も自分に言い聞かせ、深呼吸を繰り返した。





真剣な面持ちで、焦がれる名前をゆっくりと刻み込む。

大切な大切な、この6文字。

でも、小さな弧を描く中途半端な硬さの表面に、予想以上にてこずらされた。

力み過ぎれば、のめり込む。

力が弱くては、擦れた跡しか残らない。


――― チャクラコントロールは得意な筈なのに・・・。


丁寧に仕上げたつもりなのに、出来上がったのは、ギザギザの、引っ掻き傷のような不揃いの文字達。

まるで、私の恋心そのものじゃないの・・・と、思わず皮肉笑いを浮かべてしまった。



滑稽なほど不相応な自分の恋情。

何もかも釣り合わないって判っている。

でも・・・、それでも、あの人が好きなのだ。

こんなおまじないに頼ってしまうほどに。



――― お願い。 私の想いに気が付いて・・・。


傷だらけのピンクのリップに恋慕の気持ちを込めながら、あの人の笑顔を思い浮かべた。

どんな時でも不思議と安心させてくれる、飄々とした笑顔。

そして、私をまるごとすっぽりと包み込んでくれる、大きな笑顔。


――― 私だけに・・・、私だけにその笑顔を向けてください。


叶わぬ事だと判っていても願わずにはいられない。

鏡を手に取り、願いを込めてそっと唇に宛がった。



一日も早く使い終わって、私の気持ちが通じますように・・・。






「・・・次は、これね」



静かにサインペンを手にする。

先のおまじないで多少度胸がついたのだろうか、今後はしっかりとペン先を見据え、

左の手首に、丁寧に同じ文字達を書き込んでいった。


キュッ、キュッ・・・


青白い血管が透けて見える手首に、赤い文字がくっきりと鮮やかに浮かび上がる。

鮮明なまでに、目に飛び込んでくる真紅の文字。

その文字の意味を改めて理解した途端・・・ 、一気に動悸が激しくなり、大きく動揺してしまった。


――― こんなの・・・、もし、誰かに見つかったらどうしよう・・・。


馬鹿みたいに慌てふためき、何度も何度も指で擦ってみたが、油性の文字はそう簡単には消えはしない。

なんて大胆な事をしてしまったんだろう、と泣きたくなった。

後先の事を考えず、その場の勢いで手首に名前を書き込んでしまったけど、少なくとも一週間はこのままなのだ。


――― たかが、子供だましのおまじないじゃないの。 石鹸で洗えば、大丈夫・・・。


なんとか恋を成就させたくて行った儀式なのに、早まった幼稚な行いを物凄く後悔してしまった。



まざまざと見せ付けられた、赤い名前。

私の大好きな、あの人の・・・、名前。





ああ、でも本当に・・・、この人が、好き。

泣きたくなるほど、大好き。

こんな馬鹿な事をするくらい、大大大好きなんだ。



やっぱり、このままにしておこう・・・。

石鹸なんかで洗い流せるような、いい加減な気持ちで好きになったんじゃない。



――― 神様。 お願いだから一日も早く、私をこの人に釣り合う女性にしてください。


溢れんばかりの切ない願いを、ちっぽけな絆創膏に託す。


――― 絶対に、剥がれ落ちないでね。 ・・・ううん。 絶対に、剥がれさせなんかしないわ。


ピタッと貼られた肌色の絆創膏の上から、愛しい名前にそっと口付けた。





あなたの事が、好きで好きでたまりません。

どうか明日が、素敵な一日でありますように・・・。











「サクラちゃん、その包帯どうしたの?」


橋のたもとでカカシを待つ間、ナルトが目敏くサクラの手首に巻かれた包帯を見つけ、問い質した。


「あ・・・、何でもないよ。 別に」


慌てて体の後ろに左腕を隠す。

サクラの手首には、昨夜から、あるおまじないが施されてあった。

一週間は何が何でも絶対に、絆創膏が剥がれ落ちないようにしなくてはならない。


もし途中で剥がれでもしたら・・・。


願いが叶わなくなるどころか、手首にくっきりと書き込まれた文字を、誰かに、取り分け本人に見られでもしたら、それこそ一大事だ。

想像しただけでも、気が狂いそうになる。

想いは伝わってほしいが、こんなおまじないをしている事は絶対に知られたくない。

だからこの包帯は、絆創膏が任務中に剥がれ落ちないための、言わばプロテクター代わりであった。



妙に空々しく手首を庇うサクラの様子に、ナルトは首を傾げているが、

勘の良いサスケは何かを感じ取ったらしい。


「・・・フン」


小馬鹿にしたような、わざとつまらなそうな顔をして、興味無しとばかりにそっぽを向いている。



「ねーねー、ホントに大丈夫なのかってばよ、サクラちゃん」

「だ、大丈夫よ、ナルト・・・。 本当に何でもないんだから・・・」

「でも、でも・・・」

「・・・本人が何でもないと言ってるんだ。 少しは黙ってろ、このウスラトンカチ」

「ムカッ! サスケェー! お前、サクラちゃんの事が心配じゃないのかってばよぉぉ!」

「そんなことは言ってないだろうが。 ったく、正真正銘のウスラトンカチだな、貴様・・・」

「な、なんだとぉー!?」

「止めてよ。 二人とも・・・」



ムッキー!と白目を剥いて怒りまくるナルトに、フン!とくだらなそうに吐き捨て、全く相手にしないサスケ。

また始まった・・・と呆れながらも二人の間を取り成そうとするサクラ。

いつもと全く同じ展開で、気まずいようなそうでないような、お約束通りの空気が漂う中、


「やあ諸君! お待たせ〜」


やはりお約束通りの能天気な声が、頭上に響き渡った。



「「「エッ!?」」」



カカシが橋の欄干の上にしゃがみ込みながら、「ヨッ!」 とにこやかに片手を振っている。

三人とも慌てて時計を見直した。

今日はまだ、集合時間から三十分しか遅れていない。

どうせ今日も軽く三時間は待たされるだろうと踏んでいた三人は、カカシの予想外の早さに、

喧嘩の続きも、恒例の突込みを入れるのもつい忘れ、まじまじとカカシの顔を覗き込んでしまった。



「・・・なーによ、お前ら。 今朝もまた飽きずに喧嘩か? チームワークは大切だぞって、いっつも言ってるでしょーが・・・」

「カカシ先生・・・、どっか具合でも悪いのか?」

「別にどこも悪くないけど・・・?」

「じゃ、今日は何でこんなに早く来たの?」

「何でって・・・、約束事を守るのは基本中の基本。 まあ、俺もやれば出来るところをお前らに見せてやったまでだ」

「・・・そんな事、お前が言っても重みに欠ける。 それにちっとも自慢になっていない。 既に三十分は遅れてる」

「アハハ、良いじゃないの。 細かい事はって・・・、あれ? サクラ、どうした? その手首」


カカシは、やはり目敏く、サクラの白い包帯を見つけた。


「昨日の任務で怪我でもしたか?」


軽く眉をひそめ、昨日の任務内容をあれこれ思い出しながら、そっとサクラの手首に触れてきた。


「ウギャァァーッ!!」


予想もしなかったサクラの絶叫に驚き、カカシは思わず手を引っ込める。


「あっ、ゴメン! ・・・痛かった?」

「い、いえ・・・。 違います。 大丈夫です・・・」


両手を後ろに隠し、ドギマギと真っ赤になって下を向くサクラの様子を、カカシは明らかに不審に思いながらも、

とりあえずは本日の任務内容を全員に言い渡した。








本日の第七班の任務は、恒例の民家の庭の草むしり。

広い庭を下忍三人で手分けしながら、せっせと雑草むしりに励む。

カカシは木陰に腰掛けながら、なんとはなしに、サクラの様子を観察していた。



やはりサクラは、先程から包帯の様子をやたらと気にしている。

そっと上から押さえてみたり、時々包帯の中を覗きこんでみたり、と、

普段真面目に任務に取り組む彼女にしては、珍しく気が散って任務に集中できずにいた。


(しょうがないな・・・)


軽く溜息をつきながら、カカシは静かに立ち上がると、そっとサクラの背後に近づいた。



「手・・・、痛むんなら病院行くか?」

「ヒャァァァーーッ!!」


肩越しから覗き込むように間近に顔を寄せられて、またしてもカカシに腕を掴まれる。

耳元で聞こえた予想外の声の近さと、ひんやりとした指の感触に、サクラは本当に心臓が口から飛び出すかと思った。



頭がガンガンするほど心臓が跳ね回っている。

こんな至近距離では、すぐさまカカシに見破られてしまうだろう。

いやいやと首を振り、必死に手首の包帯を庇いながら、

なんとかカカシの手を振り払おうと身を捩り続けた。



何としてもカカシに手首を触らせまいと抵抗するサクラ。

いや、それどころかカカシが近付く事さえ拒んでいるようにも見える。

サクラのあまりの様子のおかしさに、さすがのカカシも、


「どれ、ちゃんと怪我の具合を見せてみろ」


と、真剣な面持ちで強引に身体を抱きかかえ、無理にでも包帯を解きにかかろうとした。


「ダ、ダメーっ!!これは絶対ダメなの!」


身体を丸め込み、今にも泣きそうな顔で、何としてでも手首を守ろうとするサクラに、

(何をそこまで・・・)

と、カカシは半ば呆れて、まじまじとサクラの顔を見つめ・・・、

ある事に気がついた。





「・・・あれ? 今日のサクラ、ずいぶんとツヤツヤした唇だねぇ・・・」



いつも以上に艶やかなピンク色の唇。

それもそのはず。

何しろ三十分おきに淡いピンク色のリップクリームを塗りたくっているのだから、艶やかない訳がない。

なにやら赤い顔で、もじもじと下を向くサクラに、


「ハハハ、女の子は良いよねぇ。 俺なんて、もうカサカサだよ」


と、笑いながら、カカシはマスク越しに唇を軽く擦り合わせてみせた。





「あ! 先生、良い物があるわ」


何かを思いついたらしいサクラが、慌ててポーチの中をまさぐり始める。

そしてようやくお目当てのものを見つけると、


「これでもう大丈夫よ!」


強引にカカシのマスクを引き剥がし、嬉しそうにピンク色のリップをグリグリと塗りつけてきた。





「・・・・・・」




唖然とサクラを見つめるカカシ。

いつもは眠たそうな眼がまん丸に開かれ、穴が開くほどサクラを見ている。

ポカンと間が抜けたカカシの表情を見て、サクラはハッと我に返った。


(ヤ、ヤダ・・・。 私ったら、なんて事を・・・)


無我夢中で自分のリップをカカシに強引に塗ってしまった。

それも、よりにもよって、おまじない用の使いかけのリップを・・・。

自分でも予想しなかった大胆極まりない行動に、頭の中が羞恥心で溢れかえっている。


(どうしよう・・・。 先生、思いっきり呆れてる。 あぁ、もう、本気で嫌われちゃったかなぁ・・・)


何と言って誤魔化せばいいんだろう。

とにかく嫌われるのだけは勘弁して欲しい。

せめてリップに仕込まれた細工が見つからないようにと、泣きたい気持ちでそそくさとリップをポーチに仕舞い込んだ。



「・・・何だかおいしそうな匂いだね」



訳が分からないまま強引にリップクリームを塗られ、

ストロベリーの甘い匂いを漂わせたカカシは、どことなく嬉しそうだった。


「・・・え?」


恐る恐る顔を上げると、楽しそうにカカシは笑っている。

ペロリと舌なめずりをし、「何だ、味はしないのかー」と残念がる様子に、

サクラの心はホッと安堵し、そして再びワクワクと踊り出し始めた。


「ありがとな」


ニーッと笑いながら、プニュッとサクラの唇を突っつく。

サクラは、早くもおまじないが効いたのかと、頭がクラクラして呼吸困難に陥りそうになってしまった。



(良かった・・・。 先生、怒っていない・・・)


「そうだ。 リップクリームのお礼に・・・。 ちょっとそっちの手、出してみて」



絶対に包帯は外さないから、と言うカカシの言葉を信じて、サクラはおずおずと左手を差し出した。

包帯の手首をカカシの指がゆっくりと撫でていく。


ドキドキドキドキ・・・


緊張の余り、サクラの身体が強張りだす。

カカシは、「痛みはなさそうだね」 と確認し、何故だか、ニヤリと顔を覗き込んで、


「何だか知らないけど・・・、早く良くなれよ」


手首にスッと、軽く唇を触れてきた。






(クワァァァァ・・・・・・!!)





シュボッ!と音がしそうなほど、物凄い勢いでサクラの顔が赤く染まっていく。

今直ぐこの場で死んでも良い、と、本気で思った。

真っ赤になって口をパクパクさせているサクラを、カカシは可笑しそうに笑いをこらえて眺めている。



(か、か、神様、本当にありがとう ――― !!)





「アーーー! アーーー! サクラちゃん達何してんだってばよ! 俺も俺も!」


その様子を一部始終目撃していたナルトが、血相変えて近づいてきた。



「な、何よ、ナルト・・・」

「サクラちゃ〜ん。 俺も唇カサカサだってばよ〜」

 
何故か顔を赤らめながらニューっと唇を突き出してくるナルト。

でも絶対に、先程のリップクリームを塗るわけにはいかない。

マズイ、どうしよう・・・と、サクラは内心頭を抱え困り果てていると・・・、ふと、あるアイディアが閃いた。



「そうだ! ハイ、これ」



ごそごそとポーチを漁り、別のリップクリームを取り出す。

まだ開封されていない、いたってシンプルなメントールの薬用リップをパッケージから取り出すと、

丁寧にナルトの唇に塗り終えて、


「よかったら、これナルトにあげる」


にっこりと差し出した。



「えーえー!? ホント? サクラちゃんの、ホントにホントにもらっても良いの!?」

「うん、どうぞ。 大切に使ってね」

「おーおー。 良かったじゃないの、ナルト」



ただの薬用リップ1本に、小躍りしそうなほど喜んでいるナルト。

サクラはにこにこしながらその場を離れて、さっさと草むしりを開始した。








「・・・・・・」




そんな一連の遣り取りを、サスケは遠くから複雑そうな面持ちでずっと眺めていた。



先程、偶然見てしまった光景。



はしゃぎまくるナルトをカカシがニコニコと見守っている。

サクラは草むしりをする振りをして、カカシとナルトに背を向けながら、

こっそりとピンクのリップを、自分の唇に塗り直していた・・・。




(あれって、まんま、間接キスじゃねぇかよ・・・)



勘の良いサスケは知っていた。サクラのあの包帯の意味を。

ただ少しばかり、油断していたのだ。

いつまでも、彼女の視線が自分を追っていると…。





薬用リップを抱きしめ涙を流さんばかりに喜ぶ金髪の少年に、

何故か真っ赤になりながら張り切って草むしりをする桃色の少女。

そして、苦虫を噛み潰したような険悪な顔つきで上忍を睨みつける黒髪の少年。



あまりにも判りやすい三者三様の態度に、やれやれ・・・、とカカシは苦笑を禁じ得ない。


(全く・・・。 忍たる者、そんなあからさまに感情を表しちゃダメでしょーが・・・)





リップを塗られて気が付いた。

サクラの一途なまでの想いを。



嬉しくてつい、面白半分にサクラにちょっかいを出してみたら、何だか大変な騒ぎになってしまった。

まあ、こうなる事は、半分想像してたけどな・・・。



(あーあ、また暫くチームワークはお預けかねぇ・・・)



ナルトはともかく、サスケには当分目の敵にされそうだなぁ、とぼやきながらも、

カカシは楽しくて楽しくて仕方ない様子で、部下達を眺め回す。



(本当可愛いよな、コイツ等・・・)






サクラの想いと、カカシの想い。

まだまだ温度差はかなりあるようだけど・・・。


ひょっとしたら数年後に、ひょっとする事が起こるかもしれない。

何てったって、運命の神様は気紛れだから。





サクラによって“運命の赤い糸”がギッチリと結ばれた事など露知らず、

今はまだ、余裕風を吹かしているカカシであった。