(あーあ・・・、ついてないよな・・・)



病院の個室の窓から、ぼんやりと外を眺める。

夕暮れ時の橙色の景色が、徐々に薄紫から濃い蒼に染まっていき、

それに合わせて、さざめく人の笑い声が風に吹かれてここまで運ばれてきた。






今日は、年に一度の木の葉の里の夏祭り――






――― 夏祭り ―――







数日前、新生カカシ班で任務に赴いた時、誰からともなく夏祭りの話題が出てきた。

ナルトやサクラは同期の連中と連れ立って、毎年、祭りに行ってるらしい。

今年の祭りはどうするか・・・。

祭りには縁のなかったサイも加えて、あれやこれやと賑やかに今年の予定を立てている。

いろいろ小さないざこざはあるけれど、まあそれなりに仲間意識の芽生えたこの三人。

ホッと安堵しながら、聞くとは無しに耳を傾けていると、サクラが無邪気に尋ねてきた。



「ねえ、カカシ先生はどうするの?」

「オレ・・・?そうだなあ、どうしたもんだか・・・」



これといった予定は入っていない。

任務も、そしてプライベートも。

もとより、そういった祭りにはあまり興味がなかったので、

自宅でのんびりしているか、あるいは待機所に詰めているかするつもりだった。



「えー、もったいない・・・。花火とか、すごく綺麗だよー。先生も一緒に行こうよ・・・」



ニコニコと誘われては、断りきれない。

結局、奴等と一緒に祭りを見にいく約束をさせられたが、その後の任務で予想外の事態に陥り、

また、体力をギリギリまで使い切ってしまう破目になった。









そして、今日・・・。

相変わらず、自分は病院のベッドの上にいる。

当然、祭りには一緒に行けるはずなどなかった。













宵闇が迫るにつれて、祭りの囃子の笛や太鼓が途切れ途切れに聞こえてくる。

横になりながら殺風景な天井を見上げていると、一人、取り残されてしまった寂寥感がひしひしと込み上げてきた。

意外だった。

自分でも知らぬ間に、奴等と祭りに出掛ける事を楽しみにしていたらしい。



(あーあ、まったく・・・)



本日何度目かの溜息が、つい漏れ出てしまう。

何を今更・・・。

もともと行く予定などなかったのだから、同じ事じゃないか・・・。

苦笑と共にそっと目を瞑っていると、






「こんばんはぁー・・・」






秘めやかな挨拶が、入り口の辺りから聞こえてきた。



(え・・・?)



見ると、サクラが廊下から遠慮がちに中を覗きこんでいる。

紺地に、赤や紫の大輪の朝顔の花が染め抜かれた、涼しげな浴衣。

濃い色合いが、サクラの色の白さを一層引き立てていた。

廊下から漏れる非常灯の仄かな灯りのみの薄暗い空間の中、静かに佇む彼女は、まるで夢の中のようにひどく儚げに見える。



「え・・・っと、どうしたの?」

「あー、良かったー・・・。灯りが点いてないから、寝てるのかと思っちゃった・・・」



赤い鼻緒の塗下駄が、コロンと乾いた音を立てた。

ニコニコと枕元に近付き、ヨーヨーを一つ手渡される。



「はい、お土産」

「あ・・・、どうも・・・」



思わずサクラの姿に見惚れていて、間の抜けた返事をしてしまった。



「あれ・・・、サクラ、一人・・・?」

「うん、さっきまでみんなと一緒だったんだけどね。途中で抜け出してきちゃった」

「・・・なんで?」

「だって、カカシ先生と一緒に花火見る約束してたじゃない。だから・・・」



ぺろっと悪戯っぽく舌を突き出す。

そのまま楽しそうに窓に近付き、



「ねえ・・・、ここから花火見えるかなぁ・・・」



歌うように語りかけてきた。






「そうだなぁー・・・。前の建物が邪魔して、あんまり良くは見えないかもなー。・・・それより、良いのか?こんなトコ居て・・・」

「平気平気!みんな、お目当ての人と二人っきりになりたくてウズウズしてたからね。私一人抜け出したって、分かりゃしませんって」



サクラと二人っきりになりたい奴だって、その中に居ただろうに・・・。

今頃キョロキョロと辺りを探しているに違いない。



「ハハハ・・・」

「何・・・?どうしたの?」

「いや、何でも・・・。ここからは無理でも、屋上からならよく見えるかもしれないな」

「じゃあ、屋上行こうよ。それくらいなら歩ける?何だったらおんぶしてあげようか?」

「・・・あのなー・・・」






軽口を叩きながら、屋上へ向かう階段を上がった。

驚くほど足取りが軽い。

さっきまで嫌と言うほど味わっていたザラザラとした虚無感は、物の見事に消し飛んでいた。














屋上には、他にも見物客がチラホラと佇んでいた。

三々五々と固まって、楽しそうに談笑している。

花火が打ち上げられるまでには、もう少々時間がありそうだ。

自分達も適当なところに陣取り、フェンスにもたれて夜空を仰いでいると、サクラがクイクイと裾を引っ張ってくる。



「ん・・・?」

「はい、これ・・・」



きょろきょろと辺りを見回し、人目が無いのを確認して、両の袂から何やら取り出す。



「やっぱ花火には・・・ね?」



小さなタオルでグルグル巻きにされている二つの物体。

差し出されたのは、よく冷え切った缶ビールだった。



「こりゃまた用意の良い事で・・・。でもさすがに病院じゃ拙いんじゃないの・・・?って、それより、お前まだ未成年――

「あーもう、お祭りなんだから良いの良いの!」



(良いのか・・・?)



「いや、やっぱり拙いだろう」と注意する間もなく、さっさと二つのプルタブが引き開けられてしまった。

プシュッ、プシュッ・・・と小気味良い音が、辺りに響く。

白い泡が飲み口から僅かに漏れ出し、慌てたサクラがグイグイと缶を押し付けてきた。



こうなったらもう、飲むしかない。

渋々と缶を受け取り、してやったり顔のサクラの頭を軽く小突く真似をする。



「コラ!」

「えへへ・・・」



人目を憚り、こっそりと缶と缶をぶつけ合った。



「乾杯・・・」




ゴクリ・・・

多少の罪悪感を感じつつも、やっぱり真夏のビールは美味かった。

久しぶりのアルコールの刺激が、口や喉の細胞にジリジリと染み渡っていく。

思わず、フゥ・・・と溜息を漏らしていると、隣では豪快にぐびぐびと一気飲みをしていた。



「へぇ・・・、そんな“いける口”だったのか。お前・・・」

「へへっ、一回やってみたかったんだぁ、これ・・・。“いける”かどうかは分かんないわ。だって、今日初めて飲むんだし・・・」

「・・・は・・・?」








慌ててサクラの手から缶を取り上げようとしたが、時既に遅し・・・。

ほとんど一缶飲み干してしまったサクラは、早くも足下が覚束なくなってきている。



「あれぇー?急に地面がグニャグニャしてきたぁー」

「おいおい・・・。まだ花火始まってないんだぞ・・・」



ケラケラと笑い声を上げながら危なっかしくよろめいているサクラを、このまま人目に曝してはおけない・・・。

素早く辺りを見回し、どこか死角になりそうな所はないかと探した。

水道タンクと物置倉庫の間に、僅かな隙間を見付ける。

抱えるように、その物陰にサクラを引っ張り込む。

洗濯したまま取り込み忘れているバスタオルを一枚失敬し、とりあえずその上に腰掛けさせようとした。



「あははー、カカシ先生のえっちぃー・・・。こんなところに連れ込んで・・・一体、何するつもりぃ・・・?」

「・・・あのなー。こんなあからさまな酔っ払い、人目につく所に置いといちゃマズイだろーが・・・」





ケラケラ笑い転げているサクラをどうにかこうにか座らせると、やがて、ドドーンと轟音が夜空に鳴り響いた。

ヒュルヒュルと色鮮やかな大輪の華が、夜空に大きく咲き競い始める。



「あー!先生、花火ぃー!」



嬉しそうに彼方を指差し、子供のようにはしゃいでいるサクラ。

立て続けにドーンドーンと打ち上がる花火を呆けるように見詰め、やっと大人しくなった彼女の隣にそっと腰を下ろした。



「綺麗だねー、先生・・・」

「ああ、そうだな・・・」



しばらく無言で、空を仰いだ。

休む間もなく夜空を彩る、金糸銀糸のあだ花達。

ヒュルヒュル・・・と次々に、咲いては消え、咲いては消えていく。



(まるで・・・オレ達みたいだよな・・・)



ほんの一瞬鮮やかに光り輝いて、そして儚く散っていく里の忍。

自分は今、どれくらい輝いているんだろうか。

そして彼女は、これからどれほど光り輝くんだろうか・・・。






「ねぇ・・・、カカシ先生?」

「んー?」

「花火ってさー、なんか・・・、私達みたいだよね・・・」

「・・・どうしてそう思う?」

「ふふ・・・、どうしてだろうねー・・・。何となくそう思ったの・・・」






奇しくも同じ事を考えていたサクラに、新鮮な驚きを抱いてしまった。

不思議な連帯感に、思わず顔が綻びそうになる。

いつも身近にいる少女がより一層親しい存在に思え、妙に心がワクワクし出した。



コツン・・・

少女の頭が肩にぶつかってきた。

そっと視線を落としてみると、トロンとした目で頭がゆらゆら揺れ出している。






「おーい、サクラ起きてるかー?」

「ふわぁーい・・・、起きてますよぉぉ・・・」

「その割には、目ぇ瞑ってないか?ちゃんと見てないと終わっちまうぞー」

「見てる・・・見てる・・・。ちゃんと・・・見てます・・・よぉ・・・」






駄目だ。完全に眠りに入っている。

危なくないように静かに腕を回して、ゆらゆらしている身体をそっと支えた。






(なんて細っこい身体なんだよ・・・)






「せ・・・んせ・・・」

「ん?」

「来年・・・も・・・、一緒に・・・見られると・・・いいね・・・」

「ああ、そうだね」

「じゃ・・・約束・・・ね・・・。来年・・・一緒に・・・せん・・・せ・・・」






スウスウと気持良さそうに眠ってしまった。

無防備に身体を預けて、すっかり安心しきった顔をして。






(来年、か・・・)



来年の夏祭りの約束・・・。








果たしてサクラは憶えているんだろうか・・・。



二人で、隠れるように花火を見上げていた夜の事を。

来年も一緒に・・・と、約束をした夜の事を。






(ま、オレは忘れないし・・・、それで十分か)






赤や青や緑の光が、サクラの顔に次から次へと降り注いでいく。

鼓膜を震わす破裂音も、いつの間にか心地よい響きに思えてきた。



スゥ・・・と吹き抜ける夜風が、彼女の香りを仄かに運んでくる。

ギュッと胸の奥底を、サクラに掴み取られた気分になった。

肩に感じる重みが、この上なく愛しい。

腕に伝わる彼女の温もりが、本当に愛しくて仕方なかった。





(憶えてなくても、いいよ・・・)






期せずして叶った今年の約束。

だから、来年ももしかしたらと淡い期待だけを抱いておこう。

たとえ叶わなくても、それで十分だ。








ドドォォォーーン・・・



一際大きな轟音と共に、パラパラパラ・・・と黄金色の雫が、天上から一斉に降ってくる。

どうやら今宵の花火大会も、そろそろ終演を迎えるらしい。






ドドドォォーーン・・・

ドドドォォーーン・・・



辺り一面、目映いほど黄金色に輝いている。

切ないほど色鮮やかな夏の思い出。

気紛れな夏が、駆け足で頭の上を通り過ぎようとしていた。






(ごめん、な・・・)






安らかに寝息を立てている小さな口に、そっと唇を押し当てる。

その弾力を確かめ、体温を掠め取り、そして静かに顔を離した。












パラパラパラ・・・






降り注ぐ、金色のまやかしの雨。

支える腕に力を込める。

どうか、この夏が終わりませんように・・・

どうか、この一刻が永遠でありますように――














名残惜しそうにチラチラと輝く金色の残照。












吹き抜ける夜風に、確かに秋の気配を感じながら・・・、

今しばらくはこうしていたい・・・と、サクラの気配を手繰り寄せる。






遠くに聞こえる祭り囃子。

静かに耳を傾けながら、鮮やかに過ぎ去ろうとする夏を一人いつまでも追いかけてみたくなった。