生ける者への鎮魂歌


雨が降っている。
あの日からずっと雨が降り続いている。


晩秋の長雨は、心も身体も冷たく凍えさせる。
どんよりと陰鬱な雨雲に、誰もが自然と口数が少なくなる。


傘も差さずにポツンと慰霊碑の前で佇むカカシ先生。
朝からずっとそうしているのだろう。
ベストもシャツも重たく雨を吸い込んで、鈍く光る銀色の髪からは幾筋も雨の雫が滴り落ちている。
ピクリと微動だにしない背中は、静かにそして頑なに誰からの干渉をも拒絶しているようで、まるでこのまま雨の中に溶けてしまいそうで怖かった。


「先生・・・、風邪引いちゃうわ・・・」
「・・・・・・」


見兼ねて、そっと傘を差し掛けた。
先生の眼差しは、私ではなく亡き人達に向けられたまま。
手を合わせるでもない、花を手向けるでもない。
ただひたすらに小さな石と向かい合い、静かに里の英雄達を偲ぶだけの行為。
でも、その横顔からは苦痛と諦めと苛立ちが滲み溢れていて、こうして傍に立つ事しかできない自分が酷く悲しかった。


「・・・・・・」
「・・・・・・」


バラバラと傘に当たる雨の音だけが耳につく。
この場所は、私の知らないカカシ先生の思い出で溢れ返っていた。
そのどれもこれもが、雁字搦めにカカシ先生の心を縛り付けているように思えてならない。
私は嫉妬にも似た場違いな怒りを、小さく刻まれた名前達に抱かずにはいられなかった。


「サクラは・・・、平気か?」
「・・・え・・・?」


唐突にカカシ先生が問い掛けてくる。
感情を窺い知ることのできない、平板な声色。
私はゆっくりと視線を上へ持ち上げた。


「忍は死んだら何も残せない。遺髪も遺骨も・・・何一つ残す事は許されない。ただこうして名前を刻まれて、それでおしまいだ」
「・・・・・・」
「いや・・・場合によっては、生きいた事実さえ綺麗さっぱり消されてしまう。そんな人生でも、サクラは後悔しないのか?」
「先生・・・」
「里の機密のためには、個々の存在がどうのこうの言ってられないからね。ほんと、呆気ないもんだよ。オレ等の命は・・・」


自嘲めいた低い笑い声。


「今ならまだ引き返せるぞ――


静かに遠くを見据えたまま、ポンと頭に手を添えられた。



試されて・・・いるのだろうか。
腹を括れと、覚悟を促されているのだろうか。
それとも、浮ついた忍者ごっこはもう止めろと戒められているのだろうか。


・・・どちらにしても、私の答えは決まっているけど。


「もし私が忍を辞めたら、カカシ先生との繋がりがなくなっちゃうわ」
「繋がりねぇ・・・。オレとのじゃなくて、もっと別の良い繋がりが見付かるかもしれない」
「そんなこと・・・!」


頭上の手を引き摺り下ろした。
細かな傷が無数に走る大きな手。
この手に触れる事が叶わなくなってしまうなんて、そんなこと絶対に嫌だ。

私が忍を続けていられるのは、カカシ先生の存在があるから。
この大きな手に何度も励まされたから、ここまで頑張ってこられた。
この手を失ってまで、平穏な生活を手に入れたくなどない。
繋がりを断ち切られたら、私は道標を失ってきっと途方に暮れてしまう――


「・・・それに、私がしつこく付き纏ったりでもしないと、先生すぐどっかに行っちゃいそうで心配よ」
「そうかぁ?」
「そうよ、絶対そう。だから、ウザイくらいにカカシ先生の後ろ髪引っ張ってやらないと・・・」
「痛てっ!」


グイグイと本気で髪の毛を引っ張ってやった。
いつだって飄々と捉えどころがなく、大して生に執着していないカカシ先生の事だから、いざとなったら簡単に自分の命など投げ出してしまうに違いない。
だからこそ、私は忍を続けていかなければならない。この人をここに引き留めておくために――


「本当に引っ張るコトないだろうに・・・」


後頭部を押さえ、恨めしそうに先生が横目で睨む。
不意にかち合った視線に、思わず胸の中が一杯になってしまった。

あぁ・・・。

私、こんなにもカカシ先生の事が好きだ・・・。
大声を張り上げてワァワァ泣き叫びたいくらい、先生の事が大好きなんだ・・・!


「カカシ先生・・・、どこにも行っちゃ駄目なんだからねっ!」
「おっ、おい・・・」


傘を放り投げ、体当たりするようにカカシ先生にしがみついた。
逃げ出さないように・・・消えてなくならないように、必死になって冷たい身体を手繰り寄せた。
今ここにいるカカシ先生が、決して幻ではありませんように。
いつまでもいつまでも私の前に存在し続けますように。

昂ぶり過ぎた想いは全て嗚咽に掏り替わり、言葉にならないもどかしさに唇を噛む。
力の籠もった指先は白くしなり、いたずらに布の上を滑り掠めていく。
声なき叫びを張り上げて、全身全霊で願わずにいられない。


どうか、今この時が、永遠に続きますように――


「大丈夫だって。どこにも行きやしなーいよ」

よしよし・・・と小さな子供をあやすように、優しく背中を擦られた。


「こんな甘ったれ残してどこか行っちまったら、心配で心配で仕方ないだろうに」
「うん・・・」
「だから大丈夫。オレはいつだってサクラのすぐ側にいる」
「・・・約束よ」


篠突く雨の中、ぐっしょりと濡れた身体を構うことなく抱き寄せ合って、互いの体温を確認し合って。
そして、溺れるように唇を求め合っていた。
灼け付くように息が熱い。
涙が止まらないほど、熱く身体に染み渡っていった。


力強く私を抱き留めてくれている、この腕も。
確かな弾力を持って私に触れている、この唇も。
ある日突然、消えてなくなるのだろうか。
何の跡形もなく、目の前から消滅してしまうのだろうか。


私もカカシ先生も、間違いなく今ここに居るというのに――



私たちの生きた証を、どう指し示せばいいのだろう。



「・・・サクラが掴み易いようにさ」
「・・・・・・」
「もう少し、髪伸ばしとこうかな・・・」


先生が不敵に嗤う。
つられて私も泣き笑いのような笑顔を浮かべた。


「それなら私も・・・、また伸ばそうかな・・・」


お互い、後ろ髪を引っ張り合うために。
一日でも長く、この地に踏み止まれるように。




雨は一向に止みそうにない。

ずぶ濡れで抱き合う私達は、狂おしいほど今を生きていた。




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