――― 気紛れ子猫 ―――
「もう、カカシ先生ったら、いつまでこんなの読んでるの!?」
「ん・・・?」
カカシの手から有無を言わさず取り上げたのは、彼の大切な愛読書。
大きな目をキッと見開いて、まじまじとサクラが顔を合わせてきた。
「二人でいる時くらいは、ちゃんと私の事見てよ」
「見てるじゃない。ちゃんと・・・」
何を言ってんの?とばかりにサクラの顔を覗き込むカカシ。
「嘘ばっかり。その本に夢中で私の話なんか聞いてなかったくせに・・・」
「聞いてたって。今度の休み、どこかに行きたいなって事でしょ?」
頬を膨らませ、なにやらご立腹の様子のサクラを軽く引き寄せると、
チュッとその額に唇を付けながら素早く大切な本を取り戻した。
「あん!もう、せっかく取り上げたのにー・・・」
「だってこれは俺の大切なアイテムだからねー。そう易々と渡すわけにはいかないんだなぁ・・・。
それに、サクラの話だったら、たとえ熟睡しててもちゃんと聞いてるぞー」
「んもう。嘘ばっかり・・・」
プイッとそっぽを向いてむくれるサクラを、カカシはヤレヤレと小さく苦笑しながら、腕の中にギュッと閉じ込めた。
「何よ、どうしたのさ。随分とご機嫌斜めみたいだね」
「・・・だって、カカシ先生ったら、私が遊びに来てからずっと、その本見てるんだもん・・・」
サクラの方からもキュッとカカシにしがみ付いて、その胸の中で嫌々と首を振っている。
二人っきりの時だけに見せる、サクラの思いっきり甘えた仕草。
猫みたいだな・・・、とカカシは思った。
ふわふわの柔らかい毛並みをした高貴な子猫。
気紛れで、移り気で、淋しがり屋で、甘えたがり・・・。
「サクラって・・・、ホント可愛いな・・・」
子猫の唇を丁寧に吸い上げながら、丸みのある肩をゆっくりと撫で回す。
おもむろにブラウスの中に手を忍び込ませようと、ボタンの一つに手を掛けたら・・・、
「やだ」
呆気なく拒絶された。
「ん?・・・どうした?」
「カカシ先生の鈍感。もういいわ。帰る」
「何言ってんの。このまま帰せる訳ないでしょーが」
すげなく断られる事も、まあ、珍しくもない。
これはこれでやや強引に事を進められて、それがまた結構刺激的で楽しかったりもする。
余裕の笑みでサクラを抱きかかえ直すと、強く唇を押し当てながらそのまま後ろへ押し倒した。
「ンンン・・・!」
嫌がる身体を力尽くで押さえ込み、細いうなじから透き通るような耳元、そして白い胸元に向かって舌先を這わせる。
薄いブラウス越しにそっと柔らかい膨らみを掴み取って、
「怒った顔も、ますます可愛いねぇ・・・」
耳元に軽く息を吹きかけながら、今度こそ直に肌に触れようとした時、
ビッターン!!
もの凄い衝撃が左頬に走った。
「・・・へ?」
「カカシ先生の馬鹿!やだって言ってるじゃない!」
いつもだったらこのまま、済し崩し的にイチャイチャできるはずなのに・・・。
どうにもこうにも機嫌の悪いサクラは、さっさと服の乱れを整えるとバッグを掴み取り、とっとと部屋から出て行ってしまった。
「ちょっと待ってよ」というカカシの引止めにも耳を貸さず、すたすたと通りを歩き続けるサクラ。
プッと頬を膨らませた顔は、涙が今にも溢れそうだった。
いっつもいっつも、あんな本読んで・・・。
私だって知ってるわ。あの中に出てくる女の人達はみーんなスタイル抜群で、クラクラするほど色っぽくて、
男の人を悩殺するテクニックをたくさん持ち合わせていて、私みたいなお子様なんて、一人も出てこない事くらい。
結局、カカシ先生も私なんかよりそういう大人の女の人の方が好きなんでしょう?
だから、いっつもいっつも私の目の前で読んでるんでしょう?
子供の自分が悔しくて、ギュッと瞑ったまぶたからポロポロと涙が零れ落ちる。
早く大人になりたいのに。カカシ先生にお似合いの大人の女性になりたいのに・・・。
『可愛い』じゃ、駄目なのよ・・・!
「捕まえた」
背中からスッポリと抱きかかえられた。
そう、スッポリと腕の中に納まってしまうほど、カカシは大きくて、サクラは小さい。
その事実が、またサクラを悔しがらせる。
「・・・・・・」
「んー、一体今日はどうしちゃったのかなー?早いとこ、ご機嫌を直して欲しいんだけど・・・」
困ったように笑いながら、そっとサクラの柔らかい髪を撫で付ける。
耳元で響く低くて優しい声。
悔しいけど、やっぱり、この包み込まれるような愛情は大好きだった。
敵わないな・・・。
どんなに我儘を言ってみたって、カカシ先生はやっぱり大人で、私はどうしたって子供。
でも、そんな子供の私でも、きっと少しくらいは、一人前の女性として見てくれている時もあるよね。
いつもいつも子供のままじゃないよね。
そうだよね・・・。カカシ先生・・・。
「あっ、サクラ。そこでアンミツでも食べてく?」
ちょうど目の前にある『甘栗甘』を指差し、カカシが尋ねてきた。
「え・・・、アンミツ・・・?」
「そっ!イライラした時は甘いもの食べると元気出るって、確かアンコが言ってたぞ」
「・・・・・・」
「ホラ、おいで」
「何で・・・、何で、アンミツなの・・・?カカシ先生・・・」
「あ?」
「どうして、『これから一緒に飲みに行こうか』って誘ってくれないのよ」
「・・・何言ってんの?お前、まだ未成年でしょうが・・・。それに、何で急に飲みに行かなきゃなんないのよ?」
さっぱり訳が判らないという顔のカカシ。
それを見て、絶望的な思いに囚われるサクラ。
「・・・もういいよ!やっぱり帰る!」
「何だよ、急に・・・。おい、待てったら!」
「やだ!離して!」
「コラ、大人しくしろ・・・」
「やだー!離せー!」
ビッターーーン!
本日二発目の平手打ちが、見事に決まった。
またしても呆気に取られるカカシを後に、サクラがワァワァと泣きながら走り去っていく。
「カカシ先生の馬鹿、馬鹿、馬鹿ー!何でアンミツなのよー・・・!」
「・・・何でって、サクラ、アンミツ大好物でしょーが・・・」
訳も判らず取り残されたカカシは、痛む左頬を撫でながら、その場に立ち尽くすしかなかった。
「・・・何で、こうなるんだよ・・・」
どうして?どうして?どうして?
あの本では、二人が喧嘩した後は一緒にお酒を飲みに行って、それで色っぽく仲直りするのよ!?
悩ましげに挑発しあって、それでガンガン燃え上がるのよ!?
アンミツで、どうやって燃え上がれっていうのよぉー!
「ふぇ・・・ぇっ・・・ぇく・・・ふぇ・・・」
判ってる。あれはあくまでもお話の世界であって、本当の恋愛事はあんなに都合よく進まないって事は・・・。
でもね。一度でいいから、私を大人の女性としてきちんと扱ってほしかったの。
あの中に出てくるお色気たっぷりの女の人みたいに、カカシ先生を悩殺してみたかったのに・・・。
「ぇ・・・え、っく・・・ひっ、ふぇ・・・」
もう一時間以上も泣いている。
玄関のドアにもたれ掛かったまま、えぐえぐとみっともなく大泣きしている私・・・。
つくづく、子供だな・・・と自分でも思った。
どうしてあんなに先生の事、怒っちゃったんだろう。
もう先生呆れちゃって、私の事嫌いになっちゃったかもしれない・・・。
膝を抱え、ぐちゃぐちゃのどん底の気分に落ち込んだ。
どうしよう・・・。ちゃんと謝ったら、カカシ先生許してくれるかな・・・。
でも、勝手に怒って二回も引っ叩いて、絶対嫌われてる。どうしよう、どうしよう・・・。
「ぇ・・・ふぇ・・・カ、カシ・・・先、生・・・」
「おー。呼んだかー?」
「――!」
いつの間にそこにいたの!?
ドア越しに聞こえる先生の声。
慌てて振り返ると、確かにカカシ先生の気配がドアの向こう側に佇んでいた。
「カカシ、先生・・・」
「サクラ・・・、ここ開けてくれる?」
「ご、ごめんなさい・・・。今は、駄目・・・」
「どうしてさ」
「だって・・・だって・・・」
やっぱり、カカシ先生に合わせる顔がないもの。
勝手に怒って、勝手に飛び出して、散々迷惑かけたのに、それでも追いかけて来てくれたカカシ先生。
凄く嬉しいけど、今の私にはきちんと謝って許してもらえる自信がこれっぽっちもないのよ・・・。
「ごめんなさい・・・、今日はもう、先生に逢えない・・・」
「じゃあサクラ、三十秒以内に答えて。このままドアを蹴破るのと、壁を叩き壊すの、あとガラス窓を叩き割るので、どれが良い?」
「・・・・・・どれも、困る・・・」
しぶしぶと、ドアの鍵が外される。
薄く開けられたドアの隙間に素早く身体を滑り込ませ、カカシはやっと中に入る事ができた。
「ふぅ・・・・・・」
互いに無言のまま、立ち尽くす。
しばらくしてから、小さく、
「・・・ごめんなさい」
と、サクラが呟いた。
「・・・全く、もう」
言いたい事は山ほどあるはずなのに、まぶたや鼻の先を真っ赤にして泣いているサクラを前にすると、もう何も言えなくなってしまう。
代わりに、ポンポンと背中を軽く叩きながら、
「二回も引っ叩かれるとは、思わなかった」
ぶっきら棒に言い放った。
「ごめんね・・・。痛かった・・・?」
サクラが、恐る恐るマスクの上からカカシの頬を撫でる。
あんな痛み、任務中の怪我に比べりゃ、ちっとも痛くないけどさ・・・。
せっかくだから、からかってみようか。
「そりゃーもー・・・。チャクラ全開の馬鹿力で引っ叩かれたんだからねー・・・」
「ご、ごめんなさい。すぐ、治療するから・・・」
おろおろとカカシの顔に手を翳そうとするサクラ。
その腕をヒョイと避けると、カカシは軽々とサクラの身体を抱き上げた。
「キャッ!」
「ひょっとして・・・、サクラ、あの本読んだ?」
「・・・ほんの少しだけ・・・」
「ハハ・・・やっぱりね・・・」
気まずそうに俯くサクラを、面白そうな、楽しそうな眼差しでカカシが見詰めている。
いつもと全く変わらぬ笑顔で「ポケットの中身、出してくれる?」とカカシに頼まれ、
サクラは、やけにゴツゴツと膨らんでいるベストのポケットの中をまさぐった。
出てきたのは、アルコール度数の低いライトカクテルと普通のビールの缶二本。
「仲直りにサクラと乾杯したいんだけど・・・、上がってもいい?」
「う、うん・・・」
「良かった」と微笑むカカシの顔は、余裕綽々の大人のもので、そしてサクラが一番お気に入りのもの。
お返しに、サクラも飛び切りの笑顔で、思いっきりカカシの首に抱きついた。
「カカシ先生・・・、大好き!」
「んー、知ってるよー・・・」
たかがイチャパラ本相手に、あれだけ派手にヤキモチ焼かれたら・・・。
困った奴・・・と思いながらも、嬉しくて嬉しくて、つい顔が綻んでしまう。
「アハハー、楽しみだなー。セクシーなサクラがいろいろ悩殺技を披露して、翻弄してくれるかと思うと・・・」
「――!!!」
「俺がどれだけサクラに参っているか・・・、どうせならこのままベッドまで連れて行って、じっくりと教えてあげようか?」
露わになった耳元に、わざと意地悪そうに囁いた。
瞬時に赤く染まる耳たぶ。
より一層力強く、サクラが抱きついてくる。
サクラの早鐘のような鼓動が、洋服越しでもはっきり伝わってきた。
(お? これはひょっとしてOKのサイン?)
どうやら、乾杯して仲直りする筈が、仲直りしてから乾杯になりそうな予感・・・。
カカシは思わずにやけそうになる顔を、グッと引き締め、
そして、真っ赤な耳元に唇を寄せて、愛しさをたくさん込めながら優しく囁いた。
今度こそ間違えずに。
気紛れ子猫のご機嫌を損ねないように。
「綺麗だ・・・、サクラ。クラクラするほど悩ましくて・・・、もう、どうしていいか判んないくらい、綺麗だ・・・」
これは本心。いつだってそう思っている。
キラキラ子猫に目が眩みっ放しなのは、紛れもない事実。
ただ悔しいから、大人の振りをして誤魔化してるだけ。
余裕のある振りをしているだけで、本当は余裕なんてこれっぽっちもありはしない。
吃驚して見返してくるサクラに、思わず苦笑いを送る。
そして、思いっきりおどけながら、もう一度その耳元に顔を寄せた。
「では、二人だけの夢の世界へいざ参りましょうか。姫君」
「・・・馬鹿・・・」
精一杯の照れ隠しだって、サクラは気付いたかな・・・?
結局、お互いの掌の上で、いいように踊らされている似たもの同士の二人は、
愛しそうに、嬉しそうに・・・、
見詰め合って、微笑み合って・・・、
チュ・・・
やっと本心を伝えられた――