「なにこれ・・・?」
ある日、カカシが任務から戻ってみると、部屋の中が、それはそれは大変な事になっていた。
―― 相対性幸福論 ――
とにかく我が目を疑った。
おおよそ予想が付かないほどの大量の色彩が、これでもかと目に飛び込んできた。
(ここは・・・、どこだ?)
天井の四隅から所狭しと張り巡らされているのは、運動会でお馴染みの満艦飾の万国旗。
そして、その隙間を埋め尽くすように、これまた超カラフルな折り紙の鎖の束が、二重三重と縦横無尽に掲げられている。
床には巨大なクリスマスツリー。その周りを、どういう訳だかカボチャまでもがゴロゴロと転がっていた。
「・・・ええと・・・」
一瞬、入る部屋を間違えたかと思った。
どう見てもこれは自分の部屋ではない。
一度外に出て確認してみようと、慌てて回れ右をした瞬間、
「あー、カカシ先生お帰りなさーい!」
とてもよく知った声が、クリスマスツリーの向こうから聞こえてきた。
(え・・・?)
よくよく見ると、ツリーの向こう側で椅子を踏み台代わりにしながら、サクラが壁になにやら取り付けている。
それは、正月に馴染み深い、大層立派な注連飾り。
やはりここは自分の部屋で間違いないらしい。
だが、しかし――
「なんなの、これ・・・?」
「よーし、できたぁー!」
その出来栄えを満足そうに眺めると、サクラはカカシの元へ飛び跳ねていった。
「何やってんの?そんなとこに突っ立てないで、さっさと中に入ってよ」
「あ・・・あのさあ、サクラ」
「はい?」
「何・・・してんの・・・?」
「何って、パーティの準備だけど」
「パ、パーティ・・・!?・・・何の?」
「やだー決まってるじゃない。今日はカカシ先生のお誕生日でしょう」
「あ・・・いや・・・そうだけど・・・」
「なーに分かりきった事聞いてんのよ、もう!」
「うわっ!」
ドン――
威勢良く背中を叩かれ、カカシは前へつんのめる。
確かに今日は自分の誕生日だ。
うん。それは確かに間違いない。
だが、この有様は一体何なんだ。
どうして誕生日を祝うのに、クリスマスツリーや注連飾りが必要なんだ。
いくら考えてみても分からない。
頬を引き攣らせながら、部屋の真ん中で右往左往しているカカシの手を引き、サクラは更にカカシを飾り立てる。
「はい、これもお願いね」
「え・・・これも・・・?」
「もっちろん!だって今日の主役はカカシ先生だもん!」
それは、安っぽい造花の首飾りと、今時誰が被るのだろう厚紙でできた金ピカの三角帽。
「わー!すごーいよく似合ってるー!」
「・・・あ・・・あははは・・・」
何なんだろう。
この常軌を逸した途轍もない状況は、一体何なんだろう。
パチパチ拍手されたって、ちっとも嬉しくない。
いっそ何かの罰ゲームだと言ってくれたほうが清々する。
理解不能の渦巻く謎に、半ば石像と化してしまったカカシなのだが、そんなカカシはどこ吹く風と、サクラは鼻歌まじりに料理を運び始めた。
「ほらぁ、ボーッとしてないで早く座って」
「は、はい・・・」
言われるままに、テーブルに着く。
スープ、サラダ、メインディッシュ・・・、手際よくテーブルが飾られていく。
最後に、冷えたシャンパンを冷蔵庫から取り出して、サクラはにこにことグラスに注いだ。
「さてと・・・。それじゃ、早速カンパ――」
「ちょ、ちょっと待った!」
「・・・なーに?」
「乾杯の前に、やっぱり確認しておきたいんだが」
「何を?」
「この部屋の状況・・・一体どういう・・・」
「ああ、これ?」
サクラが、ニッと意味ありげに大きく笑う。
「もちろん、クリスマスにハロウィンに七夕に・・・。あー、あとお正月もあるわねー」
「あるわねーって・・・。それがオレの誕生日と、どう関係あんのよ」
「分かんないの?」
「ぜーんせん」
「本当に?」
「本当に」
「もう・・・」と、大袈裟な溜息が盛大に漏れる。
「あのねー。この前のクリスマスもお正月も七夕もハロウィンも、先生ぜーんぶドタキャンしたわよね?」
「あ・・・えーと・・・、そうだっけ・・・?」
「そうよ。突然任務が入ったとか何とか言い訳して、そりゃあ見事にぜーんぶすっぽかしてくれたわよ」
「そ、そう言われれば、そう・・・だったかも・・・」
「そうだったかもじゃなくて、そうだったの!」
「あああ、そ、そうだったね・・・。ご、ごめん」
「もうどんだけがっかりしたか先生本当に分かってる!?何日も前からずーっとずーっと楽しみにしてたのに!」
「そ、そんな事言われても・・・本当に急な任務で、どうしようもなく・・・」
「分かってるわよそんな事!分かってるけど、分かってるけど・・・」
「でも、やっぱり悔しいじゃない・・・」 ムスッと不機嫌そうに半眼で睨まれ、カカシは小さく身を竦めた。
確かにこの一年、どういう訳だか大きなイベントの前になると、突然カカシに任務が入った。
サクラに悪いと思いながらも、私情を優先させる訳にもいかず、結果、サクラはいつも待ちぼうけを喰わされ続けた。
「ああ、いやホント・・・すまなかった・・・」
「・・・ふぅ・・・」
八つ当たりでもしているのか、サクラがクルクルと乱暴にグラスを弄ぶ。
途端に、危なっかしい波紋がグラスの淵からテーブルに跳ね飛んだ。
小さな発泡を繰り返しながら、ゆらゆらと揺いだままの不安定なシャンパン。
それはまるでサクラの気持ちを代弁しているようで―― 、カカシは小さく畏まりながら、チラッとサクラの顔を盗み見るしかなかった。
「え、ええと・・・」
「あーあ、しょうがないかー。カカシ先生ってば、いつだって超売れっ子だもんねー」
「サクラ・・・?」
「そんな事、最初から分かってたのにね・・・」
どこか投げ遣りな笑顔で、サクラが頬杖を突いた。
聞き分けのいい彼女のふりにちょっとだけ疲れた、ごく有り触れた少女の顔だった。
「だからね、今日は今までの分全部まとめて、一気にお祝いしちゃおうって思った訳」
「ああ・・・、なるほど・・・」
「ま、そんな訳だから。・・・では改めて、カカシ先生、お誕生日おめでとう!」
「ご、ご丁寧に、ありがとうございます・・・」
カチンとグラスが小気味良く鳴る。
グラスに映ったサクラの顔は、どこか呆れていて、どこか怒っていて、どこか哀しげで、それでも、どうしようもなくカカシが好きなんだと物語っていた。
初めのうちこそ圧倒され、戸惑いを隠せなかったカカシだが、時間が経つと共に、それはそれで楽しい気分になってきた。
ゴチャゴチャと溢れ返った、色とりどりの装飾品のせいなのかもしれない。
久しぶりに交わされたサクラとの会話のせいなのかもしれない。
軽くアルコールの回ったサクラは、その名の通りほんのりと桜色に染まって、なにやら艶かしかった。
斜めに傾いていたご機嫌も、時間と共に真っ直ぐに立て直ったようで、にこにこと饒舌に話題を振り撒く姿に、カカシは思わず見惚れていた。
「なんか私ばっかり喋ってる・・・。ねえ、カカシ先生も喋ってよぉ」
「ん?喋ってるでしょ、ちゃんと」
「うんとか、ああとか、相槌ばっかりじゃない」
「もう・・・」と、脹れた顔が可愛らしくて、つい目を細めてしまった。
本当に、万華鏡のようにクルクルと表情が入れ替わる。
そういえば、任務終了直後のささくれ立った独特の疲弊感は、いつの間にやらすっかりと払拭されていた。
(お前いると、ホント飽きないよな)
こんなの、世間ではごく有り触れた幸福なのかもしれない。
だがカカシにとって、それは何物にも代えがたい本当に大切な幸福だった。
「なあ、サクラ」
「はい?」
「お前、今・・・、幸せか?」
「はああ?」
「何を言い出すのかと思ったら・・・。なんなの、その重たっらしい質問・・・」 呆れて二の句が告げないサクラに対し、
「因みにオレは、物凄く幸せだ」と、満面の笑みで、恥ずかしげもなくカカシは言ってのける。
「・・・もしかして、先生もう酔っ払っちゃった?」
「ぜーんぜん。で、どうなのよ」
組んだ指に顎を乗せ、面白そうにサクラの顔を覗き込むカカシに、サクラは、「知ってるくせに・・・」と、ぼそっと呟く。
「いや、知らない」
「嘘ばっかり。ちゃんと知ってるはずだってばぁ!」
「知らないよ。サクラ教えてくれないから」
「・・・ふーん。あ、そう。じゃいいわよ、そんなに言い張るんなら、よーく教えてあげるから。覚悟しときなさい」
ニヤリと笑いながら、ピッと指を突き付け、席を立つ。
そして、そのままカカシに近付き、その膝に跨った。
悪戯猫を彷彿させる勝気な視線が、臆することなくカカシを射抜く。
「カカシ先生」
「んー?」
細い腕が首に巻き付く。
クスクスと笑いを噛み締め、サクラの顔がゆっくりと近付いてくる。
「ねえ、本当に知らないの?」
「ああ、知らないね」
「おかしいなあ、あんなにいつも教えてるはずなのに・・・」
唇に、温かいものがそっと触れてきた。
淡く蕩けそうなくすぐったさに、カカシは思わず笑みを浮かべた。
柔らかく押し当てられた唇の感触に、言いようのない安堵感が溢れかえる。
はんなりと染まったサクラの目元が、妙に艶かしく目に映った。
「ねえねえ、カカシ先生・・・。これでも・・・まだ、分からない?」
「うーん。ちょっとずつ・・・分かりかけて、きたかも・・・。あーでもやっぱり・・・全然分かんないなあ・・・」
「えー、本当にー?」
ニヤニヤととぼけるカカシの口元に、これでもかと小気味よく歯を立てる。
そして、物分りの悪い恋人にとことん教え込むべく、何度も舌を差し入れた。
シャンパンの酔いで、サクラの肌が仄かに熱い。
喉の奥の忍び笑いはいつしか甘い喘ぎとなり、僅かな隙間も厭うようにきつく身体を押し付けてくる。
甘い香りがカカシの鼻腔をくすぐり、アルコールの刺激と相まって頭の芯を痺れさせた。
腕や脚にかかるサクラの重みが、急激に官能に掏り替わろうとしていた。
「なあ・・・。どうせなら、もっとしっかりと幸せを確かめたくない?」
「なにそれ。もしかして、誘ってるの?」
「そう、誕生日だから」
「ふふふ・・・。いつも関係ないくせに、変なのー」
ケラケラと愉しげな笑い声が上がり、じゃれ合うような愛撫に二人の距離が一層狭まった。
指が、唇が、舌が、饒舌に語り合い、とめどなく息が弾んでいった。
眩暈にも似た芳香に引き込まれ、カカシはゆっくりと目の前のファスナーを引き下ろす。
「んっ・・・」
サクラの匂いで満ち溢れる。
例えようのない幸福感に押し包まれる。
うっすらと火照った柔らかい肌を愛おしげに抱き締め、貪るように舌を這わせた。
零れる吐息が熱を帯び、カカシの意識をますます搦め捕っていく。
加速する時の流れ。
凝縮する互いの想い。
交わされた視線の先に、繋ぎ合った指の先に、揺るぎない幸せが満ちていた。
そして――
「ごめんな、いつも待ちぼうけ喰わせちゃって」
「ううん、そんなの全然平気。さっきはちょっと意地悪言ってみたかっただけ」
二人して毛布に包まりながら、灯りの落とされた天井をそっと見上げた。
おもちゃ箱をひっくり返したような部屋の装飾品達も、今は静かに眠りに就いている。
窓から差し込む月明かりに幽かに照らし出され、二人は、静寂にも似た満ち足りた幸福感を味わっていた。
「カカシ先生・・・お誕生日おめでとう」
「ん。ありがとうな」
肩に回された腕に、力が込められる。
蒼い闇の中、二人の目が穏やかに交わされた。
有り触れた幸せ・・・。
でも、何物にも代えがたい大切な幸せ。
想いを確かめるように繋いだ指先が温かい。
互いの匂いに包まれ、静かに眠りに就く二人。
静かな時の流れの中で――
床に転がったカボチャのお化け達が、二人を見守るように、いつまでもニッコリと笑っていた。